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ヤギの目になる荒ぶる魂_100日後にZINEをつくる、81日目

「お前が言うなよ」
と他人に対して思うことが、よくある。
人の粗を探すスキルがずば抜けて高いため。

元旦にテレビをぶっ叩いてイヤホンジャックをぶっ壊した夫が、意気揚々と話しかけてくる。

『何か気づかない?
テレビからの音を消して、イヤホンだけ音を出るように設定した!プレステの設定を変更したらできた!

ねえ!助かったでしょ!』

このあと彼は「ありがとうって言って!」と続け、いつも通り、妻からヤギの目で見つめられる。


昨年、苦労を共にした相手をねぎらっていた。

わたしも彼女の両親を中心としたパニック騒動に巻き込まれ、えらく消耗した。
それでも、家族の一員として当事者である彼女と、他人であるわたしの精神の疲弊度合いは、雲泥の差だ。

彼女は健気に言う。
「でも、お陰で主人や子どもの機嫌に対して一喜一憂することがなくなりました。親から散々なことを言われて鍛えられたので、主人に文句言われてもへこまなくなったし。」

『やんさんも大変だった分、きっと去年より強くなってるはずですよ!』

うん、、うん?
と返答につまずく。

彼女に対し、くりかえし伝えてきた。
「家族は自分で選べないし、家族の行動はあなたの責任じゃないんだから、あなたがわたしに謝らないで」と。

それなのに、わたしは。
ポジティブに「怪我の功名」的なメッセージをくれた彼女に対して、「お前が言うんかい!」と反射でツッコミを入れる我が魂の浅ましさよ。

どうしてわたしは、素直に相手の言葉を受け取ることができないのか。

なぜ、針のような違和感に胸をぐさぐさ刺されるんだろう。

「他人は自分の鏡」と、よくいうじゃないか。
であれば、夫がテレビの爆音を止めて助かったのも、他人の騒動がわたしを強くしたのだって事実なのだから。

同じことを、自分で思うことと相手から言われること。
それらを区別することに、どのような意味があるのか。

どうやらわたしの狭き心の門の前には、荒ぶる門番が立っている。

金持ちのぼんぼんの言う「努力で道は切り開ける!」
女性経営者の言う「母親になっても、自分磨きをあきらめないで!」
与党議員の語る「国民の、心に寄り添う政治を!」

すかさず門番が「お前が言うんじゃねえ!」と張り手をかます。

わたしの性格が悪いのではない。
この荒ぶりやすい魂が問題なのだ。

しかしいくらわたしの魂が暴れようとも、相手には届かない。

「お前が言うな」と口に出したところで、自分が得るものはほとんどない。
「あなたの物言いは、非常に盲目的でひとりよがりに聞こえます。今一度、自分がどのポジションに立って発言しているのか、自分がその発言をするに値する人間であるかを自省してください。」と伝えるべきであろう。

・・・そんなめんどくさいこと、やってられるか!
40にもなると、対峙する価値のない人間に割くエネルギーはないのだ。

それでも、ヤギの目になりながらも、自分の心が何を受け入れまいとしているのかはわかってあげたい。

鎮まれ、わたしの魂よ。



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