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積読の棚卸し_100日後にZINEをつくる、58日目

積読の山は今年も高くなる一方で、読みかけで放置している本も積読本なのか、1ページでも読んだら積読本ではないのか、過去の自分が読みたがったけど今の自分は「気分じゃない」と言ってる本は積読本なのか、もう積読本の定義がわからなくなっている。

本棚という限られたスペースでは本も生存競争が行われている。
存在を主張しきれなかった本は売られていく。

まだ読まれていない大量の本の中にもスタメンがおり、最近買われたり借りられたりしたフレッシュな本はスタメン入りする。が、管理能力のない監督はスタメンを増やしすぎてスタメンらしい活躍させることができない。
要するに、わたしは自分が今読んでいる本が、自分が今いちばん読みたい本なのかわからなくなりがち。

明日車にひかれて死ぬかもしれない人生で、「本当に読みたいのはこの本じゃなかった・・・」と思って死んでいくことはなんとしてでも避けたい。

そこで積読の棚卸を決行。
頭で考えると、読んでおいた方がいい、「読んだ」って言いたい、それを読んでる自分はセンスがいい、みたいな謎の欲がくっついてきて、結局「読みたい」本なのかどうかわからなくなる。

じぶんの頭に騙されないためには、
『じぶんのなかに喜びがあるかどうか、身体感覚で判断する』
という方法がいいよ、という話を聞いたので、実行。

判断はカードで。部屋の両端をYES/NOと設定して、本をもって移動でもOK。

「よろこびがある」「ある」「ない」の3枚のカードをつくる。
ちぎった紙でも、テープでも、ノートに線引くのでも、なんでもいい。


そして仕訳をしたい本を準備。

仕訳の準備完了

一冊一冊手にもって、「ある」と「ない」に振り分けていく。

なんか、こんまりメソッドと同じだな、と思いながら手を動かす。
頭は動かさないように注意。

わからない本は真ん中へ。
わたしは「喜びはないんだけど、書いてあることを知りたい」と感じた本は真ん中に置いた。

仕訳完了

てきぱき進んで、あっという間に「喜び選抜」が完了!

正直に言う。「ない」に置いた本たちに罪悪感を感じる。
しかしあくまで「今」のわたしにそれを受け取る器がないだけであって、作品に対する評価ではないのだから、罪悪感は不要なはず。

「ない」じゃなくて、「NO」とか「×」とかでもない、否定にならない表現ができたらいいんだけどな。

我が愛しの喜び組

ともあれ、無事に棚卸は完了し、真の積読スタメン本コーナーが完成。
どの本を読みながら車にひかれても悔いはない。

ちなみに、今のわたしの恋人はこの本。
アニー・ディラード『本を書く』
読んで興奮した人の熱量に乗って買ったはいいが、帯のコメントが熱すぎて、なかなか本を開けないでいた。
結局、1年半以上寝かせて読み始めた今、最高に最高に最高に最高で、彼女の言葉ひとつひとつがわたしの細胞を喜ばせる。

『本を書く』 アニー・ディラード 著 柳沢由美子 訳

帯に「ものを書こうとしているすべての人へ」なんて文言がなければ、もっと早くに読んだのに!と思わなくもないが、今のわたしだからこんなに嬉しく読んでいるんだ、と思うことにする。

帯は大事なんだよ。
帯は本に人を惹きつけることも、遠ざけることもする。
このコンパクトですっきりとした装丁に対して帯のテキストが多すぎる。「書く生活のバイブル」とか巻末エッセイタイトル「書くことの真理」とか、そんなに書く書く言わんでええがな。
書かない人にとっても充分にすばらしい本である。

帯の熱量に対して自分の熱量をぶつけてしまったが、そんなことはさておき。
本日積読本の棚卸をすることができてよかった。
が、週末に5冊ほど新入りさんをお出迎えする(現在配送中)ので、喜び組選抜は定期的におこないましょう。

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