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男男男の物語『ブレイキング・バッド』_100日後にZINEをつくる、91日目

11月から約2か月間かけて『ブレイキング・バッド』を最終話まで完走。
圧巻の最終シーズン。いろんなものがてんこ盛りすぎて、受け取ったものが何なのかを考えても、上手く言葉にできない。
父と息子、男のトラウマ、金を稼ぐこと、男の劣等感、倫理観と正義、そして自己実現。これは間違いなく傑作。

※以下ネタバレありのため、まだ観ていない人はUターン推奨

真面目に平凡に生きてきた中年男性が、「家族のために」今まで歩いてきた道から足を一歩そらしたことが全てのはじまり。しかし最後まで観終えると、その「一歩」は偶然だったのか必然だったのか。本当は、どこからが「はじまり」だったのかわからなくなる。
誰でもハイゼンベルクになり得るのか。
ウォルターには特別な悪の素質があったのか。

作品中、ウォルターがくり返し口にする「家族のためにやった」という言葉。一見善意をまとったこの台詞は、投げつけられる家族にとっては「お前たちのせいで」としか聞こえない。
「~のために」がどれだけ暴力的に相手を黙らせる言葉であるかを痛感。

「他者のために」という正義ナラティブを抱えて暴走しだすと、速度が上がるごとに葛藤する時間が少なくなる。すべての選択が最終的に「家族かそれ以外か」の二択になることで、ウォルターは躊躇なく障害物を消していく。
同じ道を伴走してきたジェシーが、最後まで人間でいられたのはどうしてだろう。

本作品で一番好きな人物は、ウォルターの義理の弟ハンク。DEA(全米麻薬取締局)の捜査官である彼は、男の悪いところと良いところ、強さと弱さを全部詰め込んだような人物。彼は威勢のよさとは裏腹に、銃撃戦によるトラウマに苦しめられる。もちろん誰にもSOSは出せない。また下半身に障害を負い、介護を受けることになった時にも深く傷つく。しかし、もちろん傷ついた自分を外に表すことなんてできず、鉱物のネットオークションにハマり。妻を嫌悪していく様子はすごくリアルだった。
結局彼を立ち直らせたのは、仕事への使命感と正義感と同僚からの視線。
男の世界において、女とは本当に一体なんなのだろうか。

長いこの物語は、「自身の死に直面し、がむしゃらにあがいた男が、運に味方されて得たものを手放せなくなり、周囲を不幸に巻き込みながら失っていくたった2年間の物語」。ウォルターが自身ががん細胞のように、爽快なほど周りの人間を不幸にの穴に突き落としていく。
最後の最後で「全部自分のためだった」と認めたからこそ、彼は死ぬことができた。

結局、人をモンスターにする真のがん細胞とはなんだろう。
金?ドラッグ?権力?自己顕示欲?正義感?

そんなことを考えながら、その後の物語『エルカミーノ』を観よう。


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