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怒りと背中_100日後にZINEをつくる、88日目

一昨日から、寝起きに背中がものすごく痛い。日中ものすごく怒りを感じたり、苛々の種を抱えたまま寝ると、背中がばきばきに痛くて「なんてわかりやすいんだ」と感心する。
どうやら自分は苛々や怒りが背中に溜まると気づいたのはここ数年。「怒り」は、悲しみや不安や緊張よりもダイレクトに身体に影響を残す特別な存在。

短気なわたしは今まで、怒りっぽい自分を恥じて色んなアンガーマネジメントの方法を試行錯誤してきた。6秒ルールで怒りは増し、深呼吸は過呼吸になりそうになるし、その場を離れても怒りは身体に居座り続ける。
そもそも怒りをとっさに相手にぶつける衝動を抑えられても、着火しやすい癖と怒りを手放せない体質は変わらない。

電話をかけてきた相手に「ちょっと今忙しいので」と伝えると「何で忙しいんですか?」の返答にスマホを割りたくなる。

妻の誕生日に皿一枚洗わない夫に「オレの誕生日に何してくれるの」と無邪気に聞かれれば「お前の誕生なんか祝いたくねえ!」と皿を割りたくなる。

「それ」にかかるコストも想像できない相手から気軽に「○○してください」と依頼されると「お前の道具じゃねえんだよ!」と壁に穴をあけたくなる。

わたしは怒りを暴力で発散したいバイオレンスな人間。
しかしモノに向けられなかった怒りは背中に溜まっていき、子泣き爺を背負っているようにどんどん重くなる。どんどん前かがみになる。

そしてじっとしているうちにぐんぐん怒りが発酵し、膨脹する。このまま立派な生き呪物になれるんでないか。

身体を動かして気持ちを頭から引っぺがした方がよいことはわかっている。しかし苛々スパイラルにハマる時は大抵その時間がつくれない。

「怒らない人」になりたいわけではない。
最近は「怒りを手放す」も少し違う気がしている。

自分の「怒り」をもっと尊重して丁寧に扱えないものかと思う。

とるに足りないささいな苛々から絶対に許せない大きな怒りまで、それは全部わたしの「こうあってほしい」と背中合わせだ。
その怒りの中心にある願いは、自分のポケットにちゃんとしまっておきたい。

わたしの「誰にも搾取されたくないし、コントロールされたくない」という怒りは、「世界から搾取と支配が消えればいい」「どの命も対等に尊重したい」という願い。

こう考えると、ふつふつ渦巻く怒りも鎮まる。


なんてことにはならない。
世界への願いが強い分、怒りは根深いのだ。

さて、しつこく膝に乗ってくる猫すらうっとおしく感じてきたので、ストレッチでもして、この鋼鉄の背中をほぐそう。

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