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「死神の契約」

こんばんは。numaです。

今回は創作小説の初投稿です。

お時間ある方は、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

今回は落語で有名な「死神」をモチーフに、新しい物語を書いてみました。

それではどうぞ。「死神の契約」です。


「死神の契約」

 とあるデパートの屋上に、男が一人、立っていた。10階建てデパートの屋上から、遥か下のコンクリート道を見下ろす男の足は、自分の強い決意とは裏腹に、生物的な本能に従って小刻みに震えていた。

 母は物心つく前に死に、それからはギャンブル狂いの父との二人暮らし。そんな父も1年前に死に、父が残した多額の借金の肩代わりをすることになった、25歳でフリーターの自分。天涯孤独で頼れる人間は誰一人いない。こんな人生、もう捨ててやると決意してこんな所まで登ってきたのに、いざ死ぬとなると体は勝手に怯えてしまう。情けない、と最後の最後まで自分の不甲斐なさに落胆しながら、男が震える足を一歩、空中に踏み出そうとした、その時だった。

「お兄さん、ちょっと待ってください」

 背後から突然、声が聞こえてきた。男が振り返ると、そこには真っ黒なビジネススーツに身を包んだ、営業マンのような出で立ちの中年男が突っ立っていた。
「まだ寿命がこんなにたくさんあるのに自殺するなんて、もったいないですよ」
中年男は真っ黒な手帳をパラパラめくりながらそう言った。
「とりあえず、そんな危ない所にいないで、さあ、こちらに来てください」

 中年男が手招きすると、不思議なことに、男は自分の意思とは関係なく、中年男の方に引き寄せられていった。
「何なんですか? あなた一体」
男の問いに対し、中年男は胸元から名刺を取り出して、スッと差し出した。
「私、死神界からやって参りました。死神No.33と申します」
「……死神?」
「疑っていらっしゃいますね? まあ当然です。でもさっき、私が手招きしたら自分の意思とは関係なく体が動いたでしょう? あれが死神の力です」

 男にとってにわかには信じがたい話だったが、確かに体が勝手に動いたのは本当だ。男はとりあえず死神の話を聞いてみることにした。
「もしあなたが本当に死神だとして、一体どんな御用なんですか?」
「あなたの寿命はあと60年と28日あります。これほどの寿命を残して自ら命を断つなんてもったいないと申し上げたのです」
「あなたに関係があるんですか?」
「いえ、生死の選択はあなたの自由です。私には関係ありません。ただ、どうせ寿命を捨ててしまうなら、その前に寿命を買い取らせていただけないかと考え、こうしてあなたの前にやって来たのです」

 死神は真剣な眼差しで男を見つめながらそう言った。男はさらに質問する。
「買い取ってどうするんですか?」
「死神は人間の寿命の生産、管理も行っています。しかしこの生産がとにかく大変で、特に死神界は慢性的な働き手不足。そこで、あなたのような自殺志願者から寿命を買い取ってそれをリサイクルするという取り組みが最近取り行われ始めたのです」

 具体的な死神の話を聞いて、男の中で死神の信憑性が高まってきた。
「いくらで売れるんですか?」
「お望みの金額は?」
「……2億」
「いいでしょう。2億円お渡しします。59年と28日分売っていただいて、残り1年の寿命でいかがでしょう?」
「本当に2億円も貰えるんですか?」
「ええ、お支払いできます」
 死神は胸元から一枚の白い紙とペンを取り出した。
「では、こちらにサインをお願いします」

 白い紙には死神界の言葉で色々と書き連ねてある。男は意味が分からなかったが、その契約書に日本語でサインした。
「ありがとうございます。ではまた、1年後に」

 その言葉と共に、死神の姿は一瞬にして見えなくなった。しかしその代わりに、男の目の前には大きくて真っ黒いアタッシュケースが置かれていた。
 男が恐る恐る中を覗き見ると、何と本当に、2億円もの大金がそこにあったのである。

 それから、男の人生は大きく変化した。1億円に膨れ上がっていた父の借金を完済し、残り1億円を使って豪遊した。初体験の連続に、男はこれまでにない幸福を感じ、そしてあっという間に約束の1年が経とうとしていた。

 この頃から、男は死への恐怖を抱き始めていた。この幸せな生活を失いたくない。遊び続けたい。あれほど死にたがっていた男の面影は最早どこにもなかった。

 そしてついに、死神との約束の日がやってきた。都内のタワーマンションの一室で食事を取っていた男の前に死神が現れた。相変わらず見た目は完全に人間の営業マンである。

「お久しぶりです。1年間、お楽しみいただけたでしょうか?」
「あ、ああ……」
「それでは早速……」
「ちょっと待ってくれ! 買い戻せないかな? 俺の寿命」
「……はい?」

 男の額からは脂汗が滲み出る。死にたくない。何とかしなきゃ。男の顔は青ざめていた。
「申し訳ございませんが、それはできません。一度放棄した寿命の権利をお返しすることはできません」
「そこを何とか!」
「いえ、できません」
「1000万でどうだ? 何年分買い戻せる?」
「……ずいぶんお変わりになりましたね。生に執着するようになった。話し方も乱暴になって……自信がついたと言えば聞こえはいいでしょうが」
「頼む。死にたくないんだ」

 男は必死に訴えた。涙を流しながら、懸命に訴えた。死神はそんな男に対し、優しく微笑みながら言った。
「安心してください。死んだとしても意識はなくなりません。死後の世界があります」
「死後の世界?そんなものがあるのか?」
「死神がいるんだから死後の世界くらいあるでしょう」
 それを聞いて少し落ち着きを取り戻したのか、男の脂汗がスーッと引き始めた。
「そうか……死後の世界が。俺はどこに行くんだ?天国か?」
「いえ」
 男の額から再び脂汗が噴き出した。
「まさか地獄か?」
「いえ」
「天国でも地獄でもないって……じゃあ俺はどこに行くんだよ」
「死神界です」
「……は?」

 思ってもいなかった回答に、男は一瞬理解が追いつかなかった。死神界? なぜ人間の自分がそんな所に?
「これからあなたには死神界にお越し頂き、貴重な労働力として私たちと共に働いていただきます。働き手不足でしたから非常に助かります」
「何でそんなことしなきゃいけないんだよ?」
「お給料は先払いでお渡ししたはずです」
「もらってないぞ、そんなの」
「1億9900万円。しっかりお渡ししたはずですが」
「は? いや、だって、あれは俺の寿命の金だろ?」
「いえいえ、違いますよ。あなたの寿命は100万円です。寿命の質は人それぞれです。単純に長ければいいというものではありません。その人の過ごしてきた人生、今後過ごしていくはずの人生の質が、寿命の質に大きく関わります。あなたの人生に2億円の価値などありません」

 表情一つ変えずに淡々と語る死神を見て、男は初めてこの異質な存在に対して恐怖を感じた。
「実際は100万円程度の価値しかないあなたの寿命でしたが、あなたにいくら欲しいか聞いてみたら、図々しくも2億円などと言い出しましたので、残りの1億9900万円を死神界での奉仕代として先払いして差し上げようと考えたわけです」
「ふざけるなよ! そんな話聞いてない!」
「いえ、契約書にはしっかりサインされていましたよ」
「あんなの……読めるわけないじゃないか!」
「契約は契約です。1億9900万円分、死神界できっちり働いてもらいます」

 男は部屋を飛び出した。しかし部屋を出てすぐ、後ろから何かに引っ張られる感覚を感じた。男はあっという間に部屋の中に引き戻された。
「言ったでしょう。死神は手を触れずに相手を引き寄せられるって」
「くそ……」
「逃げても無駄です。あなたはこれから私と共に死神界へ向かうのです」
「……1億9900万円分って、一体何年だよ」
「人間界と死神界では通貨の価値が異なります。死神界でそれだけのお金を稼ぐとなると……不眠不休でざっと700万年といったところでしょうか」

 全身の力が抜け、立っているのを維持できなくなった男はそのまま膝から崩れ落ち、床に手をつくと同時に姿を消した。男の部屋では、ロレックスの時計が美しく輝いていた。

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