見出し画像

私は頂点に立つ凡庸なる者の守り神だ

映画 アマデウス 初見感想

人間の中で一番人間らしい感情って嫉妬だと思った。
人間の中で一番深い愛情って嫉妬だと思った。

恋だとか愛だとかって盲目的に自分に言い聞かせることができるけど、嫉妬ってそれが負の感情であるが故にごまかす必要がないし、深く相手のことを考えられる瞬間ですらあるから、それを強く感じられた。
私がこういう関係の人間たちが好きなのはそれもあるかも。
サリエリが、モーツァルトに向けた感情は至上の愛であって至上の憎しみなので。それを一言で括るにはサリエリにあまりにも失礼。
誰かに何かを求めてしまう欲望と人間の醜さが故の影と輝きとが本当に一気に摂取できて好きだった。
最初に、陛下が自分の曲を拙く弾いていて、それに少し腹がたちながらも陛下を持ち上げて、内心『俺の曲はもっと輝けるはずだ』って思っていて モーツァルトの登場で一発で完璧に自分の曲を弾いた時の衝撃。 理解者を見つけたような。 けど想像を遥かにこえた敗北感も同時に味わっていて。
最初のうちは神に希望を委ねていて、でもそれがどんどん歪んでいって最後のセリフとして「あんたも同じだよ。この世の凡庸なる者の一人。私はその頂点に立つ凡庸なる者の守り神だ」というセリフにすべてが詰まりすぎている。二回目見て初めて気づいたけど、この神父最初にサリエリに「神の前には全ての人が平等です。」って説いてて。そりゃサリエリの琴線には触れるよなと。
サリエリは神の前にすべてが平等じゃないことを知ってる。神が、凡庸である者を救わないことも、天才である者を救わないことも知ってる。ヨーロッパにおいて絶対であるキリスト信仰が、偶像に過ぎないことを知ってる。
「私はその頂点に立つ凡庸なる者の守り神だ。凡庸なる人々よ、罪を赦そう、罪を赦そう、汝らの罪を赦そう」 反逆者すぎる。そしてそこでモーツァルトの笑い声が聞こえてくるのも良すぎる。
モーツァルトは神の手から外れた天才で、サリエリの神で、サリエリが赦されたい罪の対象で、一言、憧れの人だから。 「君は僕のことが嫌いなんだと思っていたよ、許してくれ」って語ったモーツァルトの愚かさと愛しさよ。それを受け取るサリエリの気持ちよ。
泣かずにはいられなかった。
喉を掻き切る時に「赦してくれモーツァルト、君が僕を殺したんだ」と自死を選んだサリエリの気持ちは痛いほどによくわかる。
お互いの理解のなさから生まれたこの結末は私にとっては救いの物語でものすごく良い終わり方だった。
これは誰も救われない物語であったために私が救われた物語だったから。
たら、れば、を繰り返してしまう人生において他人と理解しあえなかったがゆえに起こってしまった取り返しのつかない死という後悔って一生の傷だし、それを凡人であるサリエリの方が背負って生きていかなきゃいけないのがとても好み。
サリエリが俺だけは理解していると思っていたモーツァルトは、才能の面に過ぎず、人間性の部分の理解はできていなかったゆえに悔しかっただろうし、それこそモーツァルトを救えるのも「俺しかいなかった」のはずだったのに。あまりにも可哀そう。可哀そう(歓喜)
原液摂取の物語すぎてめちゃくちゃ好みだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?