![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82754045/rectangle_large_type_2_d48850465cd19db767171ca89cb1f4e4.jpeg?width=1200)
#1 再現芸術の意味を考えた日
2022年7月15日(金)
仕事終わり。いつも通りチェロの練習をしていると、ふと、ある思いが湧き上がってきました。
「自分、いま何のためにチェロをやっているんだ?そしてなぜ練習しているんだっけ…?」
自分としては、ただ演奏するだけでなく、何かクリエイティブなことを成し遂げたいと思っているのですが、あくまでクラシック音楽は、"再現芸術"であるというのが一般論です。
そう考えたとき、このまま練習を続けることに意味があるのか?という思いになり、ベッドにダイブ。。。
ネットで色々リサーチしていると、とある面白いツイートを見つけました。
クラシック音楽は再現芸術と言われるが、個人的には作曲家の作曲過程を追体験するという意味での「再現」であってほしい。その中で、創造性や即興的要素を多く含む演奏に魅力を感じる。たとえ技巧的には非の打ち所のない演奏であっても「練習の成果」を聴かされる感じだとすぐに飽きてしまう。
— Masaki Saito (@misonikov) September 4, 2021
技術がなぜ必要かと言われれば、自身の創造性に対応するための自由さを獲得するためであり、決められたことを瑕疵なく行うために必要なのではない。逆に言えば、創造性なき技術というものは本来存在し得ないもので、技術はあれど音楽は、などということは実際にはない。
— Masaki Saito (@misonikov) July 7, 2022
つまりは、なぜ自分がいまこのような疑問にとらわれていたのかというと、コンクールや発表会を、ただの練習の成果の発表の場としてしかとらえられていなかったということなんです。
ここで、以前にYouTubeで見た動画を思いだしました。私の兄弟子でもあり、尊敬するチェリストの宮田大さんのインタビュー動画。この動画内で、演奏会とコンクールの違いについて語っているんですが、まさにこれです。
結論としては、
再現芸術といえども、クラシック音楽を人前で弾く場合には、自分なりの解釈を交えた、その場でしか奏でられない、一期一会の演奏をすることに意義がある。ただの練習の成果しか発表できない人にならず、会場の雰囲気などによってその場限りの演奏をできるようにするために、基礎練などの様々な練習を日々しているのだ
ということになるんでしょうか。
ときどきこのように立ち止まって、今やっていることの目的、意味を再確認することはとても大切だと感じました。
ちなみにこの、齋藤正樹さんという方、ピアニストだそうですが、一般大学出身で、都市研究も趣味でやられているとか。他のツイートも面白い投稿が多く、とても参考になりました。今後も定期的に見させて頂きます。
挑戦は続く。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?