見出し画像

滅私奉公のきもち

2023年6月に子を産んだ。それから早4か月経過し、子どものお世話とお犬様のお世話をカケモチしている。日々忙しい。夫が取得した3か月の育児休業も夏が去るのと同じころに終わり、それと同時に私のX(旧Twitter)のつぶやきも8割減った。

子どもが生まれる前は人生の中心は常に自分で、自分のやりたいことはなんでもチャレンジすることができた。結婚した後は、夫という最高の伴走者ができた気持ちでいた。でもどうだ。子どもが生まれたら私たちは子どもが成人するまで命を預けられた保護者になった。自分中心の生活は粗雑な箱にしまいこまれ、押し入れの奥に押しこめられた。まだ地球に生まれて4か月の赤ちゃんが毎分毎秒しっかり生きていけるように生活環境を整えて、食事を与え、排せつを片付け、お風呂に入れる。夫と共に二人三脚で一人の命を預かっている。

昭和10年代に生まれた私の祖父母は、高度経済成長期前後の日本をたくましく生きた。山形県の内陸地方で育ち、15歳の年に上京。それぞれが厳しい環境で住み込みながら働いた。本当の滅私奉公。当時の話を聞く限り、他人の世話になる以上甘えることもできず、実家にやすやすと帰るわけにもいかず、自分一人で生き抜く厳しい生活環境だったと聞く。それに比べれば、自分で希望して産んだ子どもの育児は大したことはないだろうが、人の苦労は人それぞれ。自分の肉体も精神もすべて育児に向けられている今の状況は、奉公人のそれと同じ気分だ。

そうは言っても、やっぱり自分の命をとして産み落としたかけがえのない命は本当に愛おしい。毎日の様子を切り取ってパウチでもレジンでも閉じ込めて永遠に保存したい。映像や写真では物足りない。実像で残しておきたい。

全てが子どものスケジュールで動くから滅私奉公の気持ちが強いだけで、もっと先に進むと違う感情が芽生えるかもしれない。たった4か月だが、子育てして初めて見る世界もあった。

子育ては、自分という存在をどこかに捨て置いて、自分とは異なる人間(生命体)を育んでいくという行為であり、これは人生で何回も体験できることではないと思うと面白い経験をさせてもらっている。地図もなしに太陽と月と星に導かれて歩いていくような。これからどんな世界を見に行けるのか、不安と楽しみとが混在している今のきもち。

*今日のひとりごと
生春巻きで包むと美味しい具材を探しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?