街頭ビジョンで流した動画ではなく動画とそれが流れる場の様子が投稿された件。黛灰について語る・反応すること自体が「黛灰の物語」というコンテンツの一部になることと同義なのでは。どんなものでも無関係な人間からそう見られる傾向はあるが、これをコンテンツ側が意図的に行っている可能性はある。