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第一回読書完走文『山月記』

読書感想文ならぬ読書完走文。
「この物語読み切った!えらい!100点!感想まで書けたら150点!!」くらいの気持ちで書いてるため、そこまで深い感想は書いてないです。多分。

記念すべき第1回は中島敦『山月記』(角川文庫 『李陵・山月記・弟子・名人伝』より)です。

『山月記』は私のバイブル書と言っていいほど大好きな本です。

高校の現代国語に載っていた『山月記』を初めて読んだ時、衝撃が走りました。

そして「近代文学って面白い!」と虜になっていくわけですが……。

では、久しぶりに読み返した『山月記』について語っていきます。

【よく考えたら人生って結構パンパンかも】

私は久しぶりに山月記を開いたわけだが、それには理由がある。
TOKYO FM系の「ふくのラジオ」にて福山雅治の「とりビー!」が流れた。その中に

『何かを成すには人生は短い
何も為さぬなら人生は長い』

福山雅治『とりビー!』

という歌詞がある。
この言葉があまりにも胸の中でぐるぐると渦巻くものだから調べてみたら『山月記』が元のようだった。

私はそれから吸い込まれるように山月記を再読したのだ。多分これでこの小説を読むのは四回目くらいだろう。

やはり山月記には私の全てが詰まっている。
まず、「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い」。

私は就職活動という出来レースをどうにかクリアし、新社会人として今年から働いているわけだが、就職活動時から漠然とした虚しさが付き纏っていた。
就活がうまくいかなかったから。それもあるかもしれない。でも、今なら「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりに短い」が答えであるとわかる。

私には夢がある。「作家になりたい。そして小説を書く楽しさを多くの人に味わってもらいたい。」
これが今にまで続く夢である。そしてやりたいことも沢山ある。大学院に行って自分の興味のある研究に従事したい。今とは違う仕事もしてみたい。でも、「やりたいこと」には年齢の壁が立ちはだかる。
「やりたいこと」をするには何かを捨てなければいけない。諦めなければいけない。そうなると私の人生はあまりにも短い。

でも、もう一つ生き方がある。全てを諦め、今の職場で大した目標もなく、ただ日々の営みを繰り返していく人生だ。これこそが「何事をも為さぬにはあまりに長い」に値する。私はこの生きたが怖くて仕方がない。

ただ、現実問題放浪の生活をするわけにもいかないのだ。ローンや奨学金……お金に関することは私の頭を悩ませる。
ただ淡々と仕事をこなし、早く仕事が終わらないかとか、一週間過ぎないかとか、一ヶ月、一年過ぎないかとか、そんなことをダラダラと無駄に考えて時間も金も心も浪費する生活を選ばざるを得ない時だってある。それがある意味「大人になる」といいことなのだ。

しかしそれはきっとていのいい言い訳で、これが次につながっていく。

【やっぱり楽して変わりたい】

『山月記』が私のバイブル書たる理由は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に詰まっている。

これについて国語の授業でどう解釈すべきか取り扱った方も多いだろう。残念ながら私は国語の授業で『山月記』は取り扱わなかったため、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の国語的正体を知らない。逆に既存の思考に囚われないという方向で読んでいただければ幸いだ。

私は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」からありもしない恥に怯え、挑戦してみないのはもったいないことなのだと自信を省みるようになった。

例えばあなたが漫画家になりたい人間だとする。そして人間関係にかなりのエネルギーを使うタイプの性格だとする。
あなたは好きでも嫌いでもない職場で働き、いつか漫画家になることに憧れている。漫画家になれば漫画家なりの苦労があるが、それでも自分にとってそちらの道の方がメリットが大きいと思っている。
しかし毎日毎日「いつか漫画を描こう」「今年こそは新人賞に応募しよう」と思いながらも実際漫画の完成には至らない。こうして月日、そして年月まで費やし、残ったのは「漫画家になろう」と決意した事実のみ。

「漫画家になる方がメリットが大きい」と思いながらも日々の生活になんだかんだ満足してしまうこと、そして賞に落選して認められない現実よりも、着実に実績を積んでいる職場の方が安らぎを得られる。

それこそが「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」ではないだろうか。
自分が傷つくのを恐れ、挑戦すらせず、ありもしない恥に怯える。そして、面倒くさくても嫌でも職場で着実に生きることを選ぶ。

できるならローカロリーで変化したいのが生き物の性である。
変化はとてつもない力がいる。疲れる。だからこそ我々は少ない力で生活を変えられる宝くじに夢をみる。

でも、現実は宝くじで変えられるほど単純なものではなかった。あー、いいまとめの言葉思い浮かばねー。

【人間は心に獣を飼っている】

自尊心では埋めきれない虚しさを人間は抱えて生きている。
李徴は高いプライドを捨て、詩人と交流し誰かに詩を認めてもらえたら、虎にならずに済んだのだろうか。

虚しさを抱くのは人間の特権だと私は思う。虚しさは承認欲求の先にも存在し続けるからだ。
すべてを手に入れた後、頂から見た景色は果たしてどのような気持ちなのだろう。私は、達成感は感じても頂上から見る景色のあまりの変わらなさに多くの人間が虚しさを抱くだろうと思っている。

それこそが虎だ。李徴は認められても虚しさは埋められないことに絶望感を抱くのだろうと思う。
人間は心に獣を飼っている。その獣の飼い慣らし方を知らなければ、獣が自分の心を蝕んでいく。そうして自分の思考を奪っていく。

やっぱり『山月記』っていいな

『山月記』は私の心を何度も穿つ。そして停滞しようとする自身の心にお尻を叩かれている気持ちになる。
変化を望まない生活も悪いものではない。平穏な生活こそ我々生物が望んできたものだから。
でも私の面倒くさい性格では、きっと平穏な生活は吐き気と虚しさを生むばかりなのだろう。だからこそ私は何か力を使ってでも縛られない変化のある生活をしていきたいのだと思う。

ここまで支離滅裂な完走文に付き合っていただきありがとうございました。
また機会があれば第二回の完走文も開催したいですね。

……ところで本当に全文読んでる?

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