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私は太宰治には到底なれないし、なりたくない

 私は時折、作家の人間性について考える。
 小説を書く人は、一般人として生活する上で必要な部品……ちょっとしたネジのようなもの──が欠落している人こそなれるのではないかと思えば思うほど、自分が重くのしかかって、自縄自縛の無能感に沈溺していく。

 私は才能を持った人間になりたかった。他人に尊敬されるような、羨まれるような、そんな大仰な人間になって遥か高みからみんなを見下ろしたかった。
 特別なんだって、自分は価値があるんだって、思いたかった。

 私は歌も絵も上手くない。楽器も弾けないし楽譜も読めない。誰かの中心になっているような人は、大抵歌が上手いかピアノが弾けた。ネットで中心にいるような人はイラストを描くのが上手かった。
 何にも当てはまらない私は、自分が何も持たない空っぽの人間なんだと心のどこかで諦めて生きてきた。

 そんな私でも熱を持って取り組めたものができた。それが小説。初めて私の人生の全てだと思えた趣味。

 だから、もっと書くことを学びたい、触れていたいから、小説を書く講義がある大学を選んだ。
 大学で同じような課題に取り組み、同じような目標を掲げている人と交流し、横並びで提出される作品を読んで、私は才能を誇示できる尊大な人間ではないのだと突きつけられる。

 私がどれほど磨いたって、私よりもっと上手く磨いてくる人がいる。もっと文を吸収できる人がいる。

 そして、小さなネジ一個失ったような、尖った感性をチェンソーのように振り回して私が至れない境地を突きつけてくる人がいる。

 やっぱり、私は太宰治になれなかった。

 私は太宰のような、人を惹きつける作品なんて作れやしないんだ。
 私は太宰のように、盛大に咲いて散っていく花にはなりたくない。

 やっぱり私は小説を書くことが好きだ。胸の奥から熱い衝動が湧き出るのを、今でも感じる。
 でも、私は執筆に人生を捧げられなかった。小説と共に心中したっていいと思っていたのに、私は日常に追いやられてクタクタと萎れ、心の奥底で一番見下していた「仕事をして、帰ってくたびれて、ゲームして、自己研鑽もへったくれもない日々を過ごす人々」と同じことをしている。

 私は凡人でした。悲しいですが、凡人でした。

 小説と共に心中できるような、そんな努力と覚悟が私にはありませんでした。
 ただ、もう一度、手は伸ばせると思います。

 私は太宰治になれません。なりたくもありません。
 だから私は、一般人よりちょっと小説を書くのが上手い蒜輪努でいたい。

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