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(こころ記録)大きな喪失を経験してパンパンの心が漏れだした日

潤子です。

寒くなってきて冬に入ったせいだと思いたいが、鬱が酷くてしばらく何も出来なかった。
いや、してはいるんだ。
絵を描いたりね。絵は私のライフワークだからさ。

今まで落ち込むこと色々あったけどさ、
八割くらい、絵のせいで自分を責める結果になっていた気がするような。

じゃあやめちまえ

イヤイヤ、続けてきたことだもの。マァマァ。
それだけ創作に一生懸命、真摯に向き合ってるってことだろうと結論づけようじゃないか。
インスタ、絵描きともだちが欲しいと思ってはじめたのに犬と猫と平沢進の投稿しか見てねーせいでタイムライン全部犬。猫。ヒラサワ。
病み散らかしてる場合か。

まわりに絵について意見交換できる人がさっぱりゼロなもので、自分自身のコミュ障さを思い知ったなり…………コロ助なり………。


先日じいちゃんを送り出してきた。

急死だと言われ学校早退して、実家へ帰ったらもうお棺は整って眠りへと船出していた。

あまりにとつぜんだったので駆けつけて来た時のままあろう事かワニ皮のジャケットというふざけた格好で遺族代表の挨拶までした。
葬式の挨拶はあたしがしてくれ、というじいちゃんの生前の言葉だったのだがあとでTPOがとかでぶち怒られた。
京都の家に帰ってもまだ、胃が重くてふと涙が落ちる。
じいちゃんは幼少期に数少ない穏やかな思い出のほとんどをくれた人だ。
あたしは今はこんなしてフーテンまがいのドラ娘だが、じいちゃんだけは常にあたしの味方だった。いつ絵を送り付けたりしてもぎごちない文章で褒めてくれる。あたしがファッションが好きだからとどんな変な格好してても「若くて美人さんだからなんでも似合うなお前は。」と笑ってた。
本当に愛情深いのだなと改めて実感したのが
今日、遺品を見に尋ねた時にテーブルの上にあたしの小さい頃のアルバムを開きっぱなしで眠ってしまったのがそのまま残っていた。
眠る前、多分苦しかったのだろう。
最後にばあちゃんやあたしの母(娘)やあたしの写真を見ていたんだ。

思い返すとじいちゃんといえば夏休みの思い出は特に濃い。
じいちゃんの大事にしてた畑、無理やり聞かされた三味線、
青島の海、花火、クソ暑い日差し、相手をさせられて否応なしに上手くなった囲碁、ヤシの木、プール、空港、水族館。


この底冷えする冬の日に、さようなら、も言わせてくれずに去ったじいちゃんは夏の輝く日差しだ。


こんな冬が来る度、在りし夏を懐かしんで寂しくなるだろう。

真白くて象牙みたいな綺麗な骨を拾ったのは、
あれは夢なんじゃないかってまだ思う。
こんなろくでもない孫でごめんね。あなたの娘を突き放すようなこと言って喧嘩してごめん。
本当にお疲れ様、本当にありがとう。貴方のしわくちゃでゴツゴツした握手が世界で1番安心したよ。

だからまた逢おうよ。


息が苦しくなってきたからこれ以上はあんまり書けないや。
でもどうしても抱え込むにはキツかったから少し気持ちが吐き出せて良かった。

そんなことがあったよ。



今は少し落ち着いて、いろんなことをぐるぐるした果てに、少年時代の夏をいい加減に断ち切って、底冷えする冬を受け入れて大人になりなさいという神様の采配だったのか。なんて結論まで飛び出た。

考えすぎてしまう性質とかドン鬱になる人間関係、孤独感、拭えない不安、うまく行かなすぎる苦しさ。


いまんとこ、人間として生きる苦しみしか知らない。

あたしもどこかへ旅立ちたい心持ちだよ。

人生は悩み暮らすには短すぎるのにさ。

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