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不幸を売ることを辞めようと思った日
自分で言うのもなんだけれど、私はとても愛想が良い。
いつの間にか、そういう人間になっていた。人間なのか女なのか分からないけれど。
ただ、かつて「女の子」だったことだけは確かだ。
学校や職場でいくら無愛想に振る舞おうが、必ず誰かが味方してくれた。
私のことを嫌う人がいても、私のことをものすごく好きでいてくれる人たちがいた。
そういうのを「女の子」と言うのだと思う。
いつの間にか愛想笑いが得意になって、滅多に怒らず、誰とでも打ち解けられるような人間になってしまったことを、ここ数年悩んでいた。
本当の私を失ったような気がしたし、つまらない人間だねと何人かから言われた。実際にそうかもしれないし。
でも、もう私は「女の子」じゃない。それについてはとっくに受け入れている。
女の一生って、女の子から女になり、そうして人間として完成されていくものなのではないかと思っている。フェミニズムには詳しくないし、こういった発言はフェミニストに怒られてしまいそうだけれど、少なくとも私が生きてきた中で感じたのは、こういうものだ。
これからはきちんと人間として評価されなければならないと深く感じた時、私はもう「仕方なく愛想笑いしている自分」に懐疑的になることを辞めようと思った。もうすっかり板についたので、義務的にやっている感覚もあまり無かったのだけれど。
ねえ、私いま笑っているけれど、本当は怒ったり泣いたりしても良いのではないだろうかなんて、考えることにも疲れ切っちゃったし。
大人になったからだけではなく、私は私が笑顔でいると楽しいし、そんな私に好意的に応じてくれたり、まるで友だちかのように街で世間話をされたりする自分が好きだと思えるようになってきた。
少なくとも、自己憐憫にまみれて「私ってこんなに不幸な人間なんです(だから優しくしてね)」といった姿勢で生きるのは辞める。そういうダークサイドに陥らないよう常に自分を整えていこうと思う。
ときどき、まだ私の心の中にいる「女の子」をこっそり満たしながら、新しい一年を生きていこう。
6月は誕生月でした。
おめでとう、私。よく生きたね。そして、面白い人生を与えてくれたすべての人たちに、沢山のありがとう。
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