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占い師aoi

自己紹介

もともとはSEであり論文大好きのロジック脳です。ただ、それは育成環境に適していたというだけで、幼少期から(多分霊感とかはないのですが)直観力が異常に優れていました。

それは、予言とまでいかずとも先読みの力だったり、或いは論拠を詰めずに一足飛びで本質にたどり着くような力でした。

私にとっては共存してきたので、有難がりながらもそれが何か特別な力であるとは思っていませんでした。万能でもないし、誰かの未来を変えたり、幸福を与えるためではない。その感覚はずっとあったので占い師というのは遠い選択肢でした。

能力についての認識

そもそも便宜上使っていますが「能力」というのは、驕りだと思います。恐らくなのですが、多くの占い師と私のこの力というのは、認識が大きく違うように思います。

占い師というのは大抵が自分の能力であると認識しています。

ただ、私は自分のチューニングを自然と同化させていることで、カード等を介して世界のプログラムのヒントを貰っている感覚です。スターウォーズで言うところのフォースが本当に近い感覚です。

自分という物質の器を外し、自然に対して警戒心を解いてもらって、同化しながらお喋りしてヒントを貰ってそれを言語化するという感覚が近いです。

ですので、一番直感的に喋ってくれるオラクルカードが一番好きで、それ以外を使用する気はあまりありません。

でも、前述したようにロジック脳も共存しているので、タロット、ルノルマン、手相、四柱推命、五星三心、ホロスコープ、色々齧ってはいるので出来ないわけではないです。ただ、オラクルが一番良いのに、使う必要性を感じないというのが一番近いです。

都市伝説や宗教等、多角的に物事を見ているというのもあり、最終的に「自分にとって自然」と感じたのが今の形です。

他の占い師との比較

年々紫があまり好きじゃなくなっていくんですよね。突然ですけど。

占い師って紫のイメージがあるから、Twitterのヘッダーも説得力の為に紫にしていますが。これってなんでかというと、多分紫って自然界にあまり存在しない色だからなんですよね。

だからこそ、自然の理を超えている感覚というか、プログラムの上に立って引き出そうとするやりかたが、平和主義の私にはなんかひっかかるなあという感覚です。

とはいえ、自分が占いの道に手を出し始めたのも、他の人のカードリーディングが偶然と思えないくらい当たっていたからなわけで、否定とかとは少し違います。方向性の違いですかね。

思えば、そのカードリーディングを選択したりしてるのって自分だから、自分の直観力が鋭かったって話でもあるんですけどね。

自分のことも人のことも、自分以上に当てる占い師は会ったことないです。自分のことだけはどうしても占えないので「お前は考える命だ」という天啓なのか、それとも当たる人が見たら当たるのか模索中です。

スピリチュアルとか

占いに足を突っ込むのに何段階かあったんですが、一番最後に後押ししたのがスピでしたね。

ツインレイとしか言いようのない相手に出会って、ロジックのどの道筋を潰しても運命以外あり得んかったので、「そっかあ」って感じでした。今でもその人のことはツインレイと思っているし、生きてるか死んでるかわかんないけど、日々の中で「今頃何してるかな」と考えたりします。

統合とか覚醒とか、そういう正規ルートを辿れるほどには、周回プレイも最後ではなかったようなんですが、当時ははちゃめちゃに勉強しました。

元々頭は悪くないので、YouTubeやインターネッツの断片的な情報を精査して、自分で理解できるようにノートに落とし込んだりしていました。

信じているかどうか、でいうと、私からすると「全て同じ」なんですよね。

医学も宗教もスピリチュアルも、反発し合う者たちもやってることって同じだなと思うし、それがだれかの作為的悪意じゃなければ良い事だと思います。わかりやすいとこだと、認知行動療法とブロック外しは同じでしょ。輪廻転生とかの考えも仏教と似てない?瞑想とかね。

人間が歴史を紡いでいく上で、必然性があったり、作為的なものがあったり、色んなことで分岐して言った結果なのだろうなと思ってます。

都市伝説とかの話について

需要が違うので切り離して考えていますが、私はここも大きく重なる部分があると思っています。

なんでかというと「作為的」の論拠が都市伝説にあったり、もっと掘り下げていくとオーパーツなり、古代核戦争説や、火星人が人類を作りそれを抽象化したのが死海文書となってったりするからですね。

「人間って、本心では自分の目で見ていることしか受け入れられない」という性質があって、物質社会では一層それを感じることがあります。

でもこれって哲学とかやってるとすごく視野狭窄ってのがわかるんですけど、自分の目に映る物質的物事が正解なはずないんですよね。

馬鹿みたいに長い宇宙や地球の歴史の中で、人間というのはほんの少しの時間しか生きていない。文明を進めたから科学を妄信したけれど、科学だって「法則性を見出していく」ってだけで永久に発展途上だ。

宇宙から見た時に、人間というのは決して「物を知っている人間」ではないんだよね。そう思うと、人間のポジションは何なのか、生や死はと考えると面白いなあと思います。

ちなみに、私は(どこの星かは忘れちゃったけど)どっかの星から地球観光人生ツアーに来ているらしいです。あほみたいにしんどい人生だったけど、それは飽くまで人間の喜怒哀楽に当てはめた時なんだよね。操縦している片割れのハイヤーセルフの私は楽しんでいる様子です。

それを聞いて、変に腑に落ちたというか、人間が作った物質主義社会の枠組みよりもよほど説得力あるなあと、直観力のある私は思ったわけでした。

さいごに

私が占いを始める以前に「すっげ当たる!」って思っていた、手相占い師とホロスコープの占い師がいました。

彼らは本職を持っていて、「占いは商売にすると途端にあたらなくなるのよ」と言いました。自分自身が、趣味ではなくビジネスとして考えた時に、「当たらなくなることの恐怖で自分の直感を信じられなくなる」と思い、彼らの意味がわかりました。

それでも、何かしらの形で収益に結び付けていこうと考えています。

それはやりがい搾取で自分を浪費しすぎてしまうきらいがあることや、生きるのに最低限必要な金策が上手くいっていないことから来ています。

就職という手段も勿論考えていますが、副業として少しでも食うに困る心配をしないで良い生活を確保したいと思っています。「直感を信じなくなり、心理学を駆使して詐欺に沼らせる」なんてのは毛頭考えていません。

食うに困る心配を軽減した上で、安心して就活して安定収入を得て、占いで得たお金で思う存分画材を買うのが今の夢です。

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