他者のように生きることはできない

「このように生きなさい」
と説く人がいる。
「このようなことをするのは恥だ」
と俯く人がいる。

 私は比較的文章を書くことが好きで、ここのところは自分の成長記録のようなものを書いている。
 3ヶ月ごとの目標を書いて、それを意識して生活する。なんだか小学生がやることのようにも感じるけれど、私にはこれが向いているみたい。
 自分が考えたことも書く。世間的には間違ってることも、どこか立派に見えることも、書く。たまに書いたことを人に話すこともある。
「えー、そんなふうに思ったことない」
 友人が言う。そうかあ、そういうものかなあ、と思ったりする。

 『はじめての利他学』という本を読んでいる。最澄はこのように考えていて、孔子はこのようなことを言っていて、仁というのは……どれも大変ためになる話だ。みんな優しかったり、立派だったりする。きっと、発言だけでなく日頃の行いも立派なんだろうなあと感じる。
 真似が、したい。美しくいきたいから。でも、できない。

 私は、ある日親知らずを抜いた。去年だったかな。
 そして愚かにも私はその日のうちに知り合いが集まるコンセプトバーに行こうとしていた。しかし、バーへの行きの電車で歯を抜いた部分から出血が止まらなくなった。しかも、めちゃくちゃ痛む。
 これは堪らんと思い、私は薬局で痛み止めを買うことにした。レジで私の前に並んでいた人の支払いがやけに遅い。口内が痛んでいる私は思わず険しい顔をする。舌打ちさえしたくなってくる。

 そんな短気な私は、もしこの時私の後ろに下痢を我慢しながら下痢止めを買おうとする人がいたとしても気が付かなかったことだろう……。

 立派になれない、と思う。
 私には好きな人がいて、好きな人の好みのタイプの女の子そのものになろうとして足掻き、実際の等身大な自分との落差でボロボロに傷ついたりしている。
 愚かだと思う。
 そして、私は私以外の何者にもなれないのだと気がついた。ゲスの極み乙女か?

 善く生きたいと思う。胡散臭いと思っていても自己啓発本に手を出してしまうほどに。
 でも、私は最澄や空海や孔子やキリストのような考えを諳んじることはいつまでたってもできないし、徹頭徹尾彼等のように生きることはもっとできない。彼等の思考回路を自分のものにすることはできない。
 幸い、考えてものを書くのは得意なのだから、最澄になるのは諦めて自分の言葉で考えてそれの通りに生きようと思っている。

 今日は何を書こうかな。

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