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特撮堂々巡り その9 最終回

1972年、51年前。

初のテレビ映画「ぽんぽこ物語」から15年目、「隠密剣士」からは十年目。
しかしながら、俗にそして雑に特撮ヒーローを指す「戦隊もの」と言う言葉の元の「秘密戦隊ゴレンジャー」の誕生はまだ2年先。

ここからは、72年から90年代までのざっくりとした歴史を語ろう。

発端は1966-68年の怪獣ブームのリバイバル、再ブームを見越して「宇宙猿人ゴリ」(スペクトルマン)と「帰ってきたウルトラマン」が放送された。
このリバイバルの気風は実のところ、その後十年続くし、他にも「新諸国物語 笛吹童子」という、ラジオドラマ時代のヒーローの他に翌年には「隠密剣士」も帰ってくる。
しかし、覇権をとったのは「仮面ライダー」であった。
更に言えば、明朗に路線変更し、隠密剣士の伊上勝らしい、いやそれ以上に時代劇らしい見切りを導入し、日本型のヒーロー像を完成させた。
2000年の「仮面ライダークウガ」はそれを捨て去り成功するが、この時点では、数え切れないくらいの作品がそのスタイルを踏襲することになる。

およそ20年後に昭和の終わりを控えたこの時期は日本の文化史でもなにかと色々言われる。
私はこの時期を境に日本人のメンタルが多神教のそれから一神教のそれに変わったのではないか。
自然が破壊され、八百万の神の死。
神なき時代の神はヒーローだったーなんて論旨の話は面白そうだが、それは棚上げする。

とりあえず、当時の特撮ものの多くはファミリーから児童向けのドラマであった。
逆に当時は特撮ものでないものも多く放送されていた。

「ケーキ屋ケンちゃん」
「熱血猿飛佐助」
「アイちゃんが行く!」
「決めろ!フィニッシュ」
「マドモワゼル通り」
「ママはライバル」

特撮ものの多くはこういったドラマのうちの一つであった。
更に当時はアニメをも包括する「テレビまんが」というジャンルのひとつであった。
ふと思ったが、72年当時はまだ漫画原作の特撮ものも結構あった。

石森章太郎
「仮面ライダー」
「好き!好き!!魔女先生」
「変身忍者嵐」
「人造人間キカイダー」

さいとうたかを
「超人バロム・1」

手塚治虫、ひろみプロ
「サンダーマスク」

望月三起也
「ワイルド7」

手塚治虫はコミカライズだけだろと言ったら、漫画の純然たる映像化は望月のワイルド7だけになってしまうし、逆にワイルド7は前述の決めろ!フィニッシュあたりの方に近いような…。
兎に角、特撮作品と雑誌媒体とのメディアミックスがぎりぎり成り立っていた時期である。
実は前年に「テレビマガジン」、翌年に「テレビランド」が刊行されておる。
特に前者は「少年マガジン」が担っていた特撮もののメディア展開を完全に移行するかたちになった。
古参の…1960年代あたりに少年時代を送った特撮ファンのライターの人は特撮ものはかつてハイティーンのメディアであった、とよくよく語る。
1990年代までそんな論調を聞いた気がするが、1980年代にすでに未就学児童のメディアにまで凋落したのが現実だ。
1972年当時ですら、小学生高学年あたりのメディアではなかったか。
私が物心ついた時点で特撮や怪獣は子供のものだった、子供らしい本ならと当時見たこともないウルトラマンの怪獣図鑑を買ってもらうという、およそ子供らしくない、薄気味悪い児童だった私はウルトラマン不在の1976年ごろ、ウルトラ怪獣にどハマリして、今にいたる。
そう、カンブリア爆発のような特撮ブームは、あっと言う間に衰退し、見る影もなくなる。
そして、小学生向けに玩具を売る媒体としての役割が残された。
特撮ものはハイティーンが見るメディアではなくなった。
ここまで来て特撮ものってなんなの?となるが、実のところ「漫画」の実写化もひとつの定義といえないか。
全てがそうではないが、漫画と特撮はつながっている。
いや、つながっていた
しかしながら、「巨人の星」(1968)や「あしたのジョー」(1970)、「ルパン三世」(1971)などハイティーン向けの作品の映像化の実積はアニメーション作品にアドバンテージがあり、また「宇宙戦艦ヤマト」(1974)のようにスケールもまたそちらに軍配が上がり、アニメブームはテレビまんがを死語にした。
特撮作品は置き去りにされた。

1970年代後半、70年代中地味に続いていたリバイバルの傾向は顕著になる。
リバイバル作品「元祖天才バカボン」(1975)の成功も一因らしいが、この時期の研究が進んでない。
1978年の「第三次怪獣ブーム」の存在が否定されるようでは、進みはしないだろう。
円谷プロはアニメブームを見越して1979年に「ザ・ウルトラマン」をアニメで送り出す。
サンライズの制作サイドに色々あったらしく、後半に作画崩壊もみられるも、作品としては成功した、ただ…特撮としてのウルトラマンの復活が望まれ…。
同年に「仮面ライダー」も復活した。
そしてザ・ウルトラマンと同じ日本サンライズで「機動戦士ガンダム」が制作された。
アニメーションで1977年のルパン三世の新作(後に俗に赤ジャケと呼ばれる)に「サイボーグ009」(1979)。
アニメブームは盛り上がり。
ウルトラマンはコロコロコミックとのメディアミックスで小学生の人気を維持していたが、特撮ものの全体としては、未就学児童対象になってしまう。
その後、ゲームなど子供の嗜好も増えていく。
ただ、特撮ものは玩具展開という役割があったから生き延びたのだ。
青春ドラマは一部が一般向けドラマに回収され、児童向けドラマは90年代にほぼ潰滅した。
特撮ものと同じように手間がかかる時代劇すらも地上波からほぼ消えた。

次に小学生が特撮ものを受け入れるのは1989年の映画「ゴジラVSビオランテ」に端を発する平成VSゴジラの時である。
玩具展開でも、年齢層が上がったので特大のメカゴジラのフィギュアなどという商品展開も可能であったという。
VSゴジラは特撮というメディアからご無沙汰であった少年サンデーにまで記事が掲載され、「ゴジラVSモスラ」の時にはコロコロコミックとコミックボンボン両方のコミカライズ掲載という事態になる。
第二次特撮ブームから20年目のことである。
時は20世紀の終わりである。
そう、特撮いやサブカルチャーが成熟した時期である。

そんなVSゴジラも2024年現在マクドナルドで世代人を狙ったコンテンツとしてコラボされるのだから、時の流れは速いものである。

とりあえず、ざっと特撮の歴史を語ったので、終わりにする。

明日も特撮作品はどこかで放送される。

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