「大人」になること
人類の大半は、ちょうど私と同じくらいに本当の「大人」を知るのかもしれない。
いや、もっとずっと早くに、知っていたのかもしれない。
「好き」と「得意」は違うこと、「社交辞令」と「気遣い」も違うこと、努力は才能の一部といえること、努力しても報われないことの方が多いこと、気の持ちようで変わる人が居ること、気の持ちようが変えられない人のこと。
段々と、その「大人」に自分が近づいていっているのが分かる。そのおかげで、日々、苦しい。
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「子供」と呼べる時期をあまりにお粗末に過ごしてしまった故に、今更子供であり続けたいと思ってしまうのは明らかに異常な気がする。「大人」が言う、「あの頃に戻りたい」とは違う、「大人」へと成長していくことに対する嫌悪感がそこには確かにあった。
心のどこかで、「このまま『大人』になっていいのか」という声がする。
ピーターパン症候群だの厨二病だのというものでもない。ただ、もう一度「ちゃんと子供として」生き直してみたい。
もしそれが叶ってしまえばもちろん今の私が存在することはない。全くの「別人」として人生を歩んでいることだろう。
それでも、このまま文字どおり「大きな人」を抱え込んで、目を眩ませてしまうのは、苦しい。
だからきっと、あともう少しして、私が大人になったとしても、相変わらず「ライナスの毛布」を片手に、飼えもしない猫を愛し続けるのだと思う。
豆ほど小さな私が、大きな人を抱えるにはまだまだずーっと、途方もなく時間が掛かりそうだ。
目が冴えているのに頭は冴えない午前0時。
ではまた。
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