高校三年生、大学受験生、歌が上手い子、ペンギンみたいな子。 一体私は何処に居るのだろう。 分かりやすい青年期モラトリアムじゃないか、良く倫理のお勉強をしているね。君の様なまだ若いうちはそうやって自分とは何なのか良く考えては悩むものさ。 それなら、大人になればたちまち猶予期間は終わって自分探しをしなくても自ずと自分を見つけられるとでも言うのですか。 そう言ったならきっと苦笑して言うのだろう。 そこまで真剣に悩まなくたって、その時の事で一生懸命になって、嫌でも自分よりも
人類の大半は、ちょうど私と同じくらいに本当の「大人」を知るのかもしれない。 いや、もっとずっと早くに、知っていたのかもしれない。 「好き」と「得意」は違うこと、「社交辞令」と「気遣い」も違うこと、努力は才能の一部といえること、努力しても報われないことの方が多いこと、気の持ちようで変わる人が居ること、気の持ちようが変えられない人のこと。 段々と、その「大人」に自分が近づいていっているのが分かる。そのおかげで、日々、苦しい。
もう11月ということも知らずに、堂々と目の前のカレンダーは10月を見せびらかしている。 私もまた、何ヶ月も前から時間に追いつけないでいる。 このまま取り残されて、追いつけなくなったら、廃人になって息をする術を失くしてしまうのではないかと不安になる。不安になって、だからますます自分のペースを大切にしなければと思う。 利己的だ、自己中だと思うだろう。 なら、どうして私はこんなにも焦り、進めない自分を恥じるのだろうか。
久々の更新になりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。 なんとなく何か書き連ねたい気分になったので少しだけお話でも。 (常体失礼します) ----------------
さよならはいつも雨ざらしで 綺麗に飾られることもないもので 残るのは耳鳴りと少しの涙 さよならを聴きたくなくて 必死に耳を塞いで塗りつぶして そんなものははじめから無かったのだと言う さよならに慣れたひとが嫌いだ たとえそれが叩かれても崩れない事実だとしても 流されるまま受け取るのは違うのに さよならを言うのが怖くて 逃げてきたせいだときみは言う もうさよならは取り戻せないんだよと もう二度と帰っては来ないのだよと言う
言葉というのは、人から人へ何かを伝えるために生まれたのだと思うけれど、伝えたいものによって言葉で伝える難易度がまるで違うからコミュニケーションって一筋縄にいかないものだなと物心ついて言葉もそれなりに知った今になって実感する。 言葉を知らない赤ちゃんのうちは、「眠い」「お腹すいた」とかの身体の変化も「悲しい」「寂しい」とかの感情の変化も、同じ「泣く」という動作で表すしかなくて、それを一度で理解するのは難しいかもしれないけど、パターンが単純だから長い時間一緒に暮らしている母親と
明日、今まで遠ざけていた自分と向き合うことになる。どの自分も自分だから、ちゃんと大切にしてあげたい。頑張らなきゃ。
答えの足らないプログラムと なし崩しで出来たFile0 ピクセルの羅列を押し込めた 汽車は今日も無人で走り出す 何も知らない偽善者と 全てを悟った極悪人は 同じ世界で生きている 同じ路線で明日の夢を見る 素材不足のギミックで今を繋ぐ 前方に見えるは派手に飾った塵 あんなになるまで傷つけたって deleteすれば鮮やかなものだから 踏切に躍り出た最期の涙は 醜い赤色をしていた 「今更路線変更?笑わせないで」 車掌の手に握られたキーボードは 選択肢すら残されてはいないカー