落合直文『萩之家歌集』評:世紀転換期のこころ

底本:『現代短歌全集』第一巻、筑摩書房、一九八〇

乾遥香によるBR賞受賞書評「日本の虫/女の日本」(平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』評)を読み、にわかに来年のBR賞に応募したい気持ちが沸いてきた。乾の書評は『現代短歌』二〇二二年一一月号に掲載されているので、未読の方は読んでください。
とはいえ書評の書き方はよくわからない。だとすれば、このまま来年初夏の締切前に頭を悩ませるよりは、気になる本で書評の練習をすべきであろう。そのような気持ちから定期的に書評を書くことにした。

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昨年(二〇二一年)の一〇月末に、落合直文の遺歌集『萩之家歌集』が現代短歌社から復刊された。しかし、落合直文の名前はあまり知られていないと思う。与謝野晶子、若山牧水、土岐善麿は広く知られている。では、彼らを見いだした与謝野鉄幹、尾上柴舟、金子薫園の知名度はどうだろう。鉄幹、柴舟、薫園の三人は落合直文の浅香社に集った青年であった。浅香社は結社ではない。機関誌をもたず、直文を慕う青年たちが定期的に歌会や会合を設けるのみであったと言われる。
さて、晶子、牧水、善麿からみて、師匠の師匠にあたるのが落合直文である。三省堂の『現代短歌大事典』をひもとけば、「直文の作風は、革新的ではなかった」、「直文は(中略)短歌革新をおこす苗床をなしたことで、短歌改良の先駆的役割を果たしてきたことが短歌史上で高く評価されてきた」(一一六頁)と記述がある。そして『萩之家歌集』をひもとけば、はじめに目にするのは次のような歌だ。

弾丸(たま)にあたりたふれしは誰そふるさとの母の文をばふところにして(従軍行といふ題にして)
をとめ子が髪のかざりのつくり花見つつ逐ひゆく蝶もありけり(春興)

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

見よ、題詠である。歌の末尾には題が記されている。遺歌集であるために歌数も多い。めくれどめくれど「あはれ」に代表される風流の歌が続いている。後半の歌についても特に期待はなく、『萩之家歌集』の初読のころ、私は物量に耐えかねて歌集なかばで匙を投げた。直文のことは後進を育成した功績が評価されているものとだけ覚えていた。

をとめ子が繭入れおきし手箱よりうつくしき蝶の二ついできぬ

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

ところがどういうことだろう。『文學界』二〇二二年五月号(特集:幻想の短歌)で、堂園昌彦は幻想短歌アンソロジー八〇首のなかに落合直文の歌を二首収めている。そのうちの一首が掲出歌だ。堂園はこの歌を「短歌における幻想の嚆矢と捉えてもよいかと思う」(八八頁)と評している。確かに、この歌についてはそのように言うことも可能である。しかし『萩之家歌集』にそのような歌があるとは信じられなかった。いずれにせよ、最後まで腰を据えて読まないことにはなんとも言いがたい。

去年の春となりの翁(をぢ)にわれ聞きて接(つ)ぎし姫桃花さきにけり
わづらへる鶴見にゆくと老僧(らうそう)の庭に出でたり夜の寒けきに

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

『萩之家歌集』では明治三二年(一八九九年)以降、題詠の題を歌の末尾に付した歌が激減する。そのあたりから、雅やかな世界観を構築した歌に混じって、風雅の世界からズレたところにあるような歌が見え始める。一首目(去年は「こぞ」だろう)は、接ぎ木した姫桃に花が咲いたことを喜ぶ歌であるが、上の句は以前であれば詞書に格納していたのではないだろうか。鶴の歌は端的に言って無粋である。老僧が病む鶴を見ている絵だけであれば風流かもしれないが、「見にゆくと」としたところに露悪的な心遣いを感じる。なるほど、直文は風流を内側からではなく、外側から描くことをしている。新派和歌の精神を、仮に“短歌において良しとされるもの”を変質させる点に見いだすのであれば、これらの歌は新派だと言えよう。

妹が家(や)の籠の鸚鵡もわれを見て名を呼ぶまでに馴れにけるかな
砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず
観音をきざむ仏師(ぶつし)が小刀(こがたな)のひかりもさむきともし火の影

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

鸚鵡は七世紀にはすでに日本に持ち込まれているらしい。しかし、例えば古今和歌集に鸚鵡を詠み込んだ歌を私は知らない。この歌では「妹」(いも)、つまり恋人の家に足繁くかよったために、その家に飼われている動物が主体に馴れはじめたことを挙げ、関係性が長続きしていることを象徴させている。こうした情緒は風流の範疇にあるのだろうか。あるいは、砂の上に「恋人の名」を書くことは、古くさいアヲハルを想起させるが、風流とは違うのではないか。仏師の仕事を見ることも、何らかの迫力を感じるかもしれないが、その仕事を照らす火に焦点をあて、仏師の仕事を言祝がない点に、和歌文脈とのズレを見いだすことができる。

大かたは掘りつくしたる貝塚の貝をぬらしてふる時雨かな
ただ一つひらきそめたる姫百合の花をめぐりて蝶二つとぶ

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

今回『萩之家歌集』を再読して、積極的に考えたいと思ったのはこれらの歌である。小泉苳三は『近代短歌史:明治篇』のなかで、落合直文の作品を「第一期(少年時代より明治十七年の二十四歳まで)第二期(二十年二十七歳より三十一年三十八歳まで)第三期(三十二年三十九歳より三十六年その死歿に至るまで)の三期」(二三五頁)に区分している。先ほどから引用している歌はすべて明治三二年以降、つまり第三期の歌である。小泉はこの時期の歌を次のようにまとめる。

現實に對する態度の進展にもかかはらず、對象の範圍が狹く、短歌的なものに限られてゐる。かういふ態度で、廣く現實を把握し表現して行く道こそ、その後の彼の行くべき道の一つではなかつたらうか。これは後年のいはゆる自然主義短歌に通ずる道である。

小泉苳三『近代短歌史:明治篇』(白楊社、一九五五、二四一頁)

直文の作品に自然主義短歌の萌芽を認めるかは、より詳細な検討が必要であろう。しかしながら、詠まれる対象が狭い点と、狭いながらも即物的な傾向が見える点には同意できる。直文は和歌的なモチーフを和歌的でない方向性から描こうとしているのではないか。
貝塚の歌は、貝を捨てる場所としてのイメージと、発掘調査の終わりが見えることとが相まって、祭りのあとの抒情が立ち上がる。姫百合の歌は、姫百合あるいは蝶に仮託して、春の訪れや恋などを象徴しているようには見たくはない。姫百合の「姫」が恋愛文脈を引きよせるかもしれないが、ここではメタファーのことを一度脇に置いてみたい。私は植物の周りに蝶が二匹飛ぶ景を抒情的なものとして受け取っている。開花に反応して蝶が花に引きよせられているものの、ひらきはじめたばかりであるために、蝶はその周囲を飛ぶしかない。あるいは逆に、蝶が周囲を飛んでいることで、百合の花がひらきはじめたことを主体は認識できたのかもしれない。主体はおかしいのか、もどかしいのか、うれしいのか、はたして分からないのであるが、短歌として書かれたことで、少なからず良いと思った景として提示さていることは分かる。

牡蠣殻(かきがら)をのせたる蜑が屋根の上に鶺鴒なきて日は暮れむとす

落合直文『萩之家歌集』(一九〇六)

「蜑」(あま)は漁師と解釈して差し支えないだろう。漁師の家の屋根には牡蠣の殻がのせられていて、さらに鶺鴒も鳴いていて、そのうえ日も暮れようとしている。さすがに要素が多すぎる。とはいえ、私は牡蠣殻と鶺鴒の取り合わせにおもしろさを感じている。これらの時期に直文は、短歌が少しく良いと思われるものを収集するのに便利な形式であると気づいたのではなかろうか。文章に書き連ねると壊れてしまうかもしれない、しかし、そのまま忘れるには惜しいことがらを短歌定型は掬うことができる。このテーゼは現代でも短歌定型の長所として語られているものだ。これらの作品を和歌から短歌への意識的変遷を示す証拠として扱ってよいのか。結論を出すのはもう少し先になりそうだが、歴史的な背景を考えると、とたんに落合直文が興味深く思えるのである。

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