歌集評① 前川佐美雄『植物祭』

・はじめに

 どのように読めばそのテクストに誠実になることができるのか。最近は短歌を読むたびにそう考えている。古い時代に書かれたものを読むときは、おそらく現代的な、2020年現在の感覚や常識で捉えることはできないだろう。例えば平安時代に書かれた相聞歌を、現代の歌謡曲のような感覚で読解すると、どこかで大きな読み違いをしてしまうと思う。同様に、前川佐美雄の『植物祭』を読む際にも、その時代の精神がどの程度反映されているかはさておき、わたし自身の誠実さを貫くために、刊行当時の状況を頭に入れておきたい。

・歌集と時代について

 『植物祭』は昭和5年、1930年の刊行である。現在わたしが参照しているのは新学社近代浪漫文庫39『前川佐美雄/清水比庵』であり、『植物祭』収録歌の制作時期は書かれていない。『現代短歌大事典』(三省堂,2000)によると、前川佐美雄は1903年生、竹伯会「心の花」に1921年入会とあり、『植物祭』は第一歌集なので、概ね1921-30年が主な作歌時期とみてよいだろう。いわゆる戦間期に相当する時期である。(2020年7月21日追記:『前川佐美雄全集』第一巻(小澤書店,1996)収録の『植物祭』後記によると、収録歌の作歌時期は1926年9月から1928年10月とあった。)
 戦間期と2020年現在では何が異なっていて、何が同じなのか。まず、東京において電気・ラジオや電車・路面電車が普及した時代である。自動車は現在ほどではないが走っていたらしい。これらは新しいテクノロジーであるが、次第に生活のなかに溶け込んだものと考えられる。2010年代のスマートフォンの普及の様子を思い出していただきたい。しかし、この戦間期には冷蔵庫・洗濯機・テレビは普及していない。またクーラーも存在しないので、夏場の暑さは現在よりも苦しいものであったと考えられる。
 短歌における状況としては、加藤克己『現代短歌史』(三一書房,1993)によると大正歌壇から昭和歌壇への転換期に相当し、アララギの一強と、反アララギの合同結社である「日光」の創刊を主な事項として挙げることができる。また、雑誌「改造」上の特集「短歌は滅亡せざるか」(大正15.7)は、短歌滅亡論の一つの結節点として忘れることはできない。さらに既存の歌壇に対して新短歌運動が起こった時期であり、口語自由律、あるいは口語短歌を試行するプロレタリア短歌運動やモダニズム短歌の流れが形成されていた。
 歴史の話はこの辺りにして、歌集評に移りたい。

・『植物祭』における口語/文語の感覚について

 前川佐美雄の『植物祭』から初めに受ける印象としては、表記におけるひらがなの多さと、文語をベースとした口語の不思議な混入である。佐美雄は一時期プロレタリア短歌に接近し、口語自由律の短歌を詠んでいたことでも知られているが、歌集収録の際にはそれらを定型に改作したと聞く。その名残であろうか。「い」抜きの用法や、崩れた会話表現などが散見される。また、多くの短歌が動詞で終わることも、一続きの文章のように三行書きを行う当時の口語自由律の影響と考えられる。

1 われの手に殺されかけてる青虫をたたみに置いてなみだはあふる
2 この虫も永遠とかいふところまで行つちまいたさうに這い急ぎをる

 引用1首目は、自分自身で半殺しにしている虫に涙する主体の精神性の謎もさることながら、この1930年に「い」抜きが短歌の中でつかわれていたことにまず驚かされる。「われ」と「い」抜きが混在する奇妙な表現は、書き言葉と口語の間を短歌が浮遊しているような印象を与える。引用2首目は、最小の字余りで口語表現をどのように短歌の中に織り込めるかという試みを見出すことができる。これらの表現は、80年代のライトヴァーズが決して唐突に表れたものではないことを思い起こさせ、口語短歌の前史として研究に値するものであろうし、また現在において口語と文語を混在させる試みの参考にもなるだろう。

・「きちがひ」を装うことについて

 「きちがひ」と「白痴」は『植物祭』で度々繰り返されるモチーフである。しかしながら、自分が「きちがひ」であると宣言する主体は、実際に「きちがひ」であるとは思えない。むしろ、自分自身の意識ははっきりしているからこそ、そうでない状態を想像することで、さながら社会学の実験のように、自分自身や自分から見える当たり前の世界を見つめ直そうとしているかのように思えてならない。なお、これらの語は現在使うことは好ましくないとされているが、刊行当時の時代状況を捉え直すために、そのまま引用し、分析したい。

3 なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす
4 丸き家三角の家など入りまじるむちやくちやの世が今に来るべし
5 ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる
6 わが室にお客のやうにはいり来てきちんとをれば他人の気がする

 引用3、4首目は連作「四角い室」から引いた。部屋が四角い理由は明白で、合理的に空間を使うことができるからである。部屋の形に依拠しながら、これらの歌は合理性に支配された世界が崩れ去ることを希求している。引用5首目は、「自転車屋かうもり傘を修繕にやる」行為がおかしいことと認識できている点で、主体は「白痴」とは言いがたい。自転車屋に持っていかれた「かうもり傘」はおそらく修理できないものとして突き返されるか、適切な修理先を案内されるのだろう。その“あたりまえ”から、せめて短歌の中では外れることを作者は試行したのではないだろうか。
 引用6首目はいわゆる違背実験に類似している。アメリカの社会学者ハロルド・ガーフィンケルは、家族における親密性を研究するために、学生たちへ家の中で15分間よそよそしいふるまいをさせるという課題を出した。これは「下宿人実験」と呼ばれているが、学生の家族の反応は当惑して怒り出すか、その振る舞いを非難するものであった。こうしてガーフィンケルは家族内のコミュニケーションでは親密さを示しあうことがルールとして規定されていることを示したのだが、引用6首目の主体も、自分の家ではくつろいで振舞わなければならないこと、さもないとその空間が自分の家でなくなるような心地がするというルールを確かめているように見える。

・鏡という自我の写し

 鏡は自分自身を物理的に見つめ返すための道具である。前項と関連して、この歌集の中に鏡に関する歌が散見されるのは、おそらく偶然ではないだろう。

7 鏡のそこに罅(ひび)が入るほど鏡にむかひこのわが顔よ笑はしてみたし
8 この室の気持をあつめて冴えかへる恐ろしい鏡なり室ゆ持ち去れ
9 深夜ふと目覚めてみたる鏡の底にまつさをな蛇が身をうねりをる

 引用7首目は、主体が鏡に向かい合うことによって、その像が質量をもって鏡の底にヒビを入れる様を想像している。そうしたヒビによって、実際の表情は変えずに、虚像の中の顔を笑わせてみたいと考える主体は、並々ならぬ期待を鏡に寄せているように見える。対して引用8首目では、鏡が感情をアンテナのように集めて、主体によからぬことをもたらす予感が示されている。引用9首目の蛇は不吉である。この蛇は主体のいる現実世界から鏡像として映り込んだものではなく、主体自身、あるいは主体の精神の一部を象徴するものとして、身をうねらせているのだろう。
しかしこの三首は、鏡に何か不思議な力があると認める点で共通している。鏡に対するこうした感情は、わたしに次の文章を思い起こさせる。

「廊下のはるか奥から、その鏡はわたしたちを凝視していた。わたしたちは、(そういう発見は夜中には避けがたいものなのだが)鏡というものは、なんとなく怪奇なものを漂わせていることに気がついた。するとビオイ・カサーレスが、ウクバールの教祖の一人がいったことを思いだした。鏡と性交は、人間の数をふやすがゆえに忌まわしいものだと。わたしがその記憶すべき言葉の出典をたずねると、彼はアングロ・アメリカン百科事典のウクバールの項にのっているとこたえた。」
ボルヘス「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」『伝奇集』(集英社, 1975)

小説家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスは前川佐美雄の生まれる四年前にアルゼンチンで生まれた。「鏡と性交は、人間の数をふやすがゆえに忌まわしい」、こう書いたボルヘスに対して、おそらく佐美雄は次のことがらを暗示しているのだろう。鏡は、人間の自我を増幅させるがゆえに忌まわしい、と。同時代人としての佐美雄とボルヘスの共通点を洗い出すのは今はやめておこうと思う。ただ、これは偶然ではなく、何かしら時代の精神を反映しているものではないのか、と思えてならないのである。

・ifの世界への憧憬と恐れ

 自我の増幅といえば、想像力を逞しくすることもそれに該当する行為だ。歌集の中には、そうしたifの世界に思いをはせる歌も多い。

9  ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし
10 湖の底にガラスの家を建てて住まば身体うす青く透きとほるべし
11 いますぐに君はこの街に放火せよその焔(ひ)の何んとうつくしからむ
12 覗いてゐると掌(て)はだんだんに大きくなり魔もののやうに顏襲ひくる

 引用9首目の抒情は爽やかである。おとぎ話に出てくるような牧歌性がある。しかし、現実の街には「鳥けだものをひきつれて」行くわけにはいかない。引用10首目の情景も美しいが、現実の主体の身体は半透明ではない。こうした“~ではない”状態を否定したい心の動きとして、引用11首目では「君」に街へ放火することを求めている。なお、この歌を含む連作「樹木の憎悪」に「君」が登場するのはこの歌のみである。唐突に召喚された「君」は、きっと主体にはできない行為を叶えてくれる誰かとして、主体の感情を託されているのだろう。しかし、そうした想像力の世界も主体に牙をむくことがある。引用12首目では、顔を覆うだけの動作が誇張されて、恐ろしいものとしてえがかれている。現実世界のアンチテーゼとしてつくられた想像の世界すら、主体の思い通りにはならないようだ。
 ところで、佐美雄がここまで自我の拡大や、自分自身でない状態をえがくことにこだわるのはなぜだろうか。ひとつの仮説として考えられるのは、当時普及した様々なテクノロジー/技術がもたらす感覚比率の変化である。メディア論の研究者であるのマーシャル・マクルーハンは、はじめに人間が技術をつくり、次に技術が人間をつくることを、様々な著作の中で繰り返し語っている(とりわけ、『メディアはマッサージである』はユニークな方法が使われているので一読をお勧めしたい)。歩いている時と自転車に乗っている時の感覚はことなるし、自転車に乗っている時と電車に乗ってどこかへ行くときの感覚もまた異なる。身体の延長としてのこうした技術は、わたしの自我をゆすぶり、わたしがわたし以外の何かであるような感覚すらもたらすことがある。だからこそ、文学の中においていかに自分自身が自分自身以外であることができるか、という試みは、感覚比率の変化によって引き起こされる自我の揺れのようなものを捉え返す行為ではないだろうか。

・自分自身が自分自身でしかないことについて

 しかし、最終的に自分は自分自身でしかありえない。歌集の前半で執拗に繰り返されるかなしみは、自我の到達点を見つめた結果もたらされたものであるように思われる。

13 床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし
14 かなしみを締めあげることに人間のちからを尽くして夜もねむれず

 引用13首目は佐美雄の代表歌として度々引かれるものだ。「うつつならねば」の効果については様々なことが言われているが、わたしが付け加えられることとしては、自分で自分の首を眺めるという超現実的な光景が、超現実的であるがゆえに決して未だ現実では起こり得ないことへのかなしみが表出されているものとして、また自分が他人の視点で自分を眺めることは叶わないことへのかなしみとして、捉えることができるのではないかと思う。引用14首目は歌集の始めの歌である。巻頭で投げ出された「かなしみ」は、歌集全体を読み通すことによって、はじめてその内容が明らかになるのは、歌集の構成として非常に興味深い。
 手持ちの資料だけではこれが限界である。この辺りで筆をおきたい。

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