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敗北感から自由になる


人は三つの執着によって苦しむ

①求める物を得たいという執着
(だが叶わない)

②手にしたものがいつまでも続くようにという執着
(やがて必ず失われる)

③苦痛となっている物事をなくしたいという執着

(だが思い通りにはなくならない)


「勝ちたい」という思いが強いほど、負けた時の心の痛みは激しくなる。
仏教では「もともと勝ちも負けもない。そのような思いは欲と妄想が作り出した幻なのだ」と理解されている。

「嫉妬」は上記の執着のうち、①と③が合わさったもの。
「相手の気持ちを得たい」という欲がみたされないために「相手の心を乱してやろう」という行為。
このことからわかるように嫉妬は相手の責任ではなく、相手から認めてもらえてないという承認欲の不満が原因である。






「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」


自分が認められるために、なすべきことをやろうとするのは正しい努力。
外の世界に目を向けず、まず自分の内側にある「動機」や「今、自分が持っているもの(できること)」をみる。

性格、資質、スキルなどは人それぞれ。
なのについ成果を上げている人と同じ方法で成果を上げようとしてしまう。
本来なら自分の内側から「独自の成果をあげる方法」を工夫していくべき。

自分の立っている場所からできることから積み重ね、改善を重ねていく。
これがラクであるし、自然な生き方。
このような生き方ができれば嫉妬とは無縁になれる。




「自分の役割は他にある」という可能性

世の中には、認めてもらえる人とそうでない人とがどうしても出てくる。
社会的に価値あるものには数に限りがあるため成果が異なるのは定め。

目標に執着してやる気が生まれるならやれば良い。
だが「苦しみ」が生まれるのなら考え方を間違えているということ。

ブッダの教える”慈しみ”という大前提から始めるなら「誰かの役に立つ」ことが基本になる。
世間が「価値がある」と定めた目的や目標を目指すのではなく、今の自分には何ができそうなのかを考える。
自分の目指した目標にたどり着いた人に対しては嫉妬せずに「よく頑張ったんだな」と認めてあげて「私には、違う役割があるのだな」と考え方を切り換える。


(※反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」より)


◎今日の呟き
私は元々普通に一日3食、自衛官の頃は各食「痩せの大食い」と言われるくらいにすごい量の食事をとっていました。
当時ラグビーをやってたんですが、部内でも一番体が細く、線を太くしたかったからです。
そこからの延長で、自衛官を辞めても「肉」だけはたやさず毎日のように食べていました。一方、野菜も一応摂取してましたがキャベツやレタスなど副菜として取り入れやすいものばかり食べていました。
そんな食生活を送ってた頃は、表には出しませんでしたがめちゃくちゃ短気で常に何か争いたがったり、勝負事に勝てないとイライラする始末でした。
それから今のベジタリアン生活に変更したら本当に心穏やかになりました。
イメージで例えるなら闘犬だった土佐犬が、静かな森にたたずむ鹿になった感じです。
今まで目もくれなかった移り変わる景色ごとの植物の移ろいだったり、空気感だったり、空模様だったりにいちいち感動するようになりました。
今回取り上げてる本にも書かれてる「瞑想」も確かにいいんですが、幸福を感じるためには腸内環境が良いことが大前提です。
私の知り合いには肉をガンガン食べても体調がよく便通も良い人がいますが私には肉が合わなかったんだと思います。
今回のnoteに載せたように「やるべき使命」というも人それぞれだと思いますが、体を整える食事も「人それぞれなんではないか」と私は思います。
「○○先生が言ってたから」「○○だと書かれてあったから」という情報は一度試してみる価値はあるかもしれませんが、あくまで「それを心地よいと思う自分」がそこにいるかどうかによります。
幸せを感じるためにはベースとして自分ととことん向き合うしかない。
私も本書の通りそう思います。


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