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メルカリで初めてものを売った話

今年の年始はひたすら実家でごろごろしていまして。
まあ洗濯はしてくれるし、もちろんごはんは勝手にでてくるし、わたしのやることといったら元気の有り余っているわんこの遊び相手くらい。

何度なげても持ってくるんです、きりんのぬいぐるみ。最初は
「お~よしよしかわいいなあ、おねいちゃんが投げちゃるからね~」
って嬉しかったけど5回もやれば飽きてくるんですけどね、あいつは飽きないんですよ…
もうきりんもヨレヨレで可哀相な感じなんですけどね…

こんな感じで時間を持て余していたので、友人界隈でちょっとしたブームになっている『2019年にやりたいこと100箇条書き』をやってみました。

やっぱり一番に書くのはこれからの進退のことで
「ことしの一大テーマはこれだな」
と、自分で書いた文章を自分で読み返してホクホク。

進めていると、まあ段々ネタが尽きてきて(この辺りから自覚していなかったニーズを引っ張り出してくる作業になるんだろうけど)、
「○○くんに借りていた本を返し、貸していたCDを返してもらう」
とか出てきて、いつのまにかToDoリストになり始めようわからんことに…。

なんとか100個書き上げてみるとやる前には予想できなかっただいぶぶっ飛んだやつも出てきてユニークな2019年になりそう?と、上機嫌になったのでした。
もちろん構ってもらえないわんこは不機嫌、を通り越してふて寝していましたけど。

しかし、所詮暇つぶしに始めたものですから、それはまあきれいサッパリスッポンと何を書いたかどころか書いたことさえ忘れていたんです。
東京に帰ってきて数日して何かの折に「あー!!」と思い出して、ぴかぴかの手帳の裏表紙ポッケに入れた紙を広げて見返してみました。

すると、一つに

メルカリ(売る方)をする、断捨離をする

って掲げていたんです。

「そうやった!」と。(笑)

年末帰省するとわたしの母がメルカラーになっていて、いろんなものをメルカリで売って断捨離成功させていたのです。紅茶の入っていた缶カンとかさえも売れていたのです。
それをみてお金になる断捨離っていいなと思った私は、真似しようと思って、また100埋めるために咄嗟に書き留めたのでした。

そしてついに3日前、売れたのです。

いくつか出品したうち、マグカップのセットが旅立ちました。
売値は1500円弱で、手数料や送料を引くとわたしの利益は500円くらい。

それが、ちょっと驚くくらい嬉しくって仕方なくなったんです。


携帯がポッケの中でブルっと震えたけれどロクにハンドクリームも塗っていない手を冷たい空気に晒すのが嫌で、地下鉄に載ってから通知を確認すると「購入されました」の文字。

自分の中でなにかが小さくビリビリッと走って脳みそがドキドキッ。

諸手を挙げて
「やったー!!」
って叫びたいようなやつじゃなくって、一生懸命練習していた逆上がりが急に一度できて
「…あれ?いまのって?」
とぽかんとしてしまうような嬉しいやつでした。

いち企業に所属させてもらっておきながらここ数ヶ月、わたしはポカーンとしているだけでお給料を頂いています。
もちろんとてもありがたいし、ないと生活していけないし。休職となるほどに頑張っていたから、頂けているんだとも認識しています。

それとは別軸だけど、それとは次元が違うくらい嬉しかったのは、自分の手で自分の経済を回したっていう実感を得たんだと思う。

わたしが、わたしの価値感覚のでマグカップの価格を決めて、そのマグカップに対する価値感覚が合った人が、お金を支払ってくれた。
ある人にとっては500円のものかもしれないし、5000円のものかもしれないし。
でもわたしは1500円(自分へのバックが500円だとしても)で納得し、相手も同じく納得して購入に至った。売り手と買い手が納得している値段ならばいいんだと思う。
経済って本質はそういうものだけれど大量生産大量消費の世の中で、ひとつひとつそんな丁寧な契約手続きをするわけにもいかないから、固定価格で納得できる人は買うし、そうじゃない人は諦めるか値切るかってなるんだろうな。
そんな普遍的なことを、自分の身体で体感できた。貴重貴重。

わたしの手元に500円しかやってこないけど、せいぜいレトルトカレーくらいしか買えないけれど、わたしはそれで十分ハッピーである。

と、同時に、それでは生活できないこのご時世。
どこで自分と折り合いつけるのか。

自分が納得できる経済の中で生きていきたいけれど、それを優先させていては食っていけない。生きていけない。
どこまで、自分の手中に収めておきたいのか。
せめてどの要素だけは、守り抜きたいのか。この世の経済に飲み込まれたくないのか。

そんなことを、マグカップをぷちぷちでくるみながら考えた。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。