181122_ねこさん

ござそーろー

 最近、すこし、大きめの決断をしました。
 ウキウキなそれは、ドキドキな決断でして。
 とてもソワソワするので、いままで気になっていたけどやらなかった、洗面所の鏡を拭いてピカピカにしたりですとか、大きなサツマイモに包丁を入れレンジでチンをしてからおみそ汁の具にしたりですとか、そういうことをしています。

 嗚呼そういえば、いもくりなんきん、ってのはなぜこう魅力的なんでしょうね。

 わたしの家の近くに大判焼きのお店があります。
 あずき、クリーム、チーズクリームの3種が定番で、その他に時期代わりのいろいろな味があります。

 いつもはあずきしかいただかないのですが、遊びに来ていた母と妹ときゃっきゃ言いながら買った甘栗あんはそれはもう絶品でした。
 もう一回食べようと心に決めていて、ちょうどこの間寄って帰れるタイミングがあったのでお店の前まで行くと「甘栗あん」の札はなく、代わりに「かぼちゃバター」と「パンプキンクリーム」が掛かっていました。

 「甘栗あんっ、甘栗あんっ。」
 と小さく口ずさみながらお店へ向かってしまったほど、それへの期待で膨らんでいたわたしの胸の内は、ぎゅっと握っていた風船の口を離したようにシュルシュルと小さくなってしまいました。
 きっと帰り道のわたしの背中姿は、年老いたおばあちゃんのようだったのではないでしょうか。

 

 ところで、小さい頃よく家族で行っていたデパートがあって、そこに行くと必ず「ござそーろー」を買ってもらえることになっていました。

 地下にそのお店はあって、ガラス越しにござそーろーが作られていく様子を見ながら列に並びます。
 造り手さんたちの手付きを見つめながら、
「あ、いまのやつ、中身が多い。あれがいい。」
 とお店の人には聞こえないように小さくつぶやいていました。わたしはそんな子どもでした。

 ござそーろーには「赤」「白」の2種類ありました。
 妹もわたしも
「白がいい!」「わたしは2個ね!」
 と言って聞かないものですから、いつも10個入りを買っていたのですが半分以上は白でした。
 父は赤をよく食べていて、「白のほうが絶対おいしいのにわからん」なんて思っていました。

 小学校のときに引っ越しをして、近所にそれを売る店はなくなりました。
 まあ、そこまでござそーろーに執着していたわけでもなかったので、生活に支障が出ることはありませんでした。
 そうしてわたしは成長し、ある日「ござそーろー」は「御座候(ござそうろう)」という固有名詞であり、巷では「大判焼き」とか「今川焼き」と呼ばれることを知ります。
 同時に、「赤」「白」それぞれあんこのことを意味していて、わたしが好んで食べていた「白」はマイナーで、好きになれなかった「赤」は所謂あずきであって、これが一般に食されているということも知ります。

 いろんなことがわかって知識は増えたのに、わたしのござそーろーは遠くへ行ってしまいました。


 わたしの家の近くの大判焼きはおいしいです。
きっと(そもそも甘栗あんも母妹にそそのかされなければ食べる気がなかったくらいですから)かぼちゃあんのもおいしいのでしょう、明日あたり買ってみようかな。

 でも、それとは別で、久しぶりにござそーろーを食べたいものです。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。