190109_またかもかがわ

今日も未来も変わらぬハッピー。あ、増える分には超ハッピー。

2050年を、わたしは生きているだろうか。

無線通信を筆頭にさまざまな技術が更に発展。
また裕福な大企業に限らず、若者や第二の人生を歩み始めた人々による新しいイノベーションも次々と起こった。

最もわかりやすい変化は、移動手段の高度化及び自動化であった。

リニア新幹線の開通、また大型小型を問わず全ての自動車に操縦制御システムが組み込まれるようになった。
そのシステムによって、目的地さえセットしてしまえば車が自動運転を開始し寝ている間に目的地に到着できる、という夢のような未来が実現した。各自動車間ではそれぞれのシステムが超高速かつ正確な情報交換を行っているため、十分な安全性を保って走行する。

もちろん、現在のように車を自分の手で運転したい人はいる。そういう人は操縦制御システムをオフにすることでドライブを楽しめる。
但し、人通りが激しい都市部等では操縦制御システム作動が必須であり、エリアに入るとそれまでひとがハンドリングしていてもシステムが勝手に立ち上がる仕組みになっている。
ずいぶん「マニュアル」「オートマ」の意味が変化した。

技術発展や新イノベーションにより、生活に必要な大抵のことはひとりでこなせてしまう社会が実現していた。

すると「できないこと」の価値が高まった。
例えば運転。操縦制御システムの活躍によって運転ができなくても車による移動が可能になったのに、わざわざお金を払ってトレーニングを受け、自分の手で車を操れる人は感嘆の対象になった。
「工藤さんとこの息子さんは、運転できるらしいわよ!うちは、てんで興味持たないから、主人寂しがっちゃって。
ドライブに誘っても『やらなくて済むことをやるなんて、何が面白いのかわからない』ってついてきてくれないのよ。」

こんな社会になった結果、人間の仕事はそれら技術をより向上させること、あるいはそれらに指揮命令や判断をあたえること、はたまた政治を動かすこと程度になった。
人々は日中適度に仕事をしよく眠るように…を通り越して一日中寝て過ごす人も増えた。
そうでなければエンタメをぼうっと楽しんだり、ゲームをしてみたり。ふと隣をみると同じように時間を持て余した人たちが居た。

30年後。いまと変わらず、京都の中心には鴨川が流れる。

心なしか、その川べりを歩く人は穏やかなほほ笑みを浮かべている。いぬは飼い主のもとへと駆け寄り、くしゃくしゃと顔をなでてもらっている。どこかで誰かが楽器を奏でている。
夜になると楽しい笑い声が聞こえる。その喧騒に隠れてひっそり泣いてる人もいる。

いまとそう変わらない、光景。

でも、老若男女問わず、外国人と日本人色んな人が混じりあって
心もいっしょに開花していく、桜の美しい春を、
お祭りで活気づきお盆には親戚が集まる、蒸し暑い夏を、
木々を仰いだり足元を眺めたりと、紅葉で色づく秋を、
みんなで一つの鍋をつつく、底冷えの厳しい冬を、
楽しんでいたらいいなと思う。

きれいごとでも、そんな未来につながる今日を生きていたい。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。