190815_そら

190815_近況報告

強い台風がやってきていることが自分に関係し始めたのはまだ実家にいた一昨日の夜のことで、「明日の天満での飲み会なんやけど大丈夫かなあ」と友人LINEグループに連絡をいれた。

『15日は山陽新幹線全線運転見合わせが決定』というニュースにちょっとびびりながらも名古屋から大阪へ移動したのは昨日のこと。
近鉄アーバンライナーはそれはもう当たり前に運行していたけれど、途中三重辺りでバチバチと音を立てて雨が窓を打ちつけていた時はその様子をじっと見た。
天満での飲み会は久しぶりに再開した友人たちとの会話も弾み楽しく、心配していた雨にも降られることなく帰宅できた。

今日は約一週間ぶりの自宅での睡眠だったにも関わらず六時に一度目が覚めちょっと苛つき、二度寝をしたら九時だった。風がごおお、と唸っていた。
八時にセットした目覚ましは時空の歪にでも吸い込まれたんだろうか、携帯を確認するとしっかり自分でそのアラートを止めたようだった。そしてアルバイト先から「夜のシフトはおやすみにしましょう」という旨の連絡が入っていた。
それから天気予報アプリを立ち上げると昼には雨雲がくるとのことだったので急いで朝ごはん(母が昨日持たせてくれたけど食べるタイミングを失ってしまったおにぎり二つ)をとって、メイクもせずに外出。スーパーで食材を買い入れ、コンビニで電気代の支払いをしてきた。
そんなこんなで正午には完全引きこもり体制に入ったのに結局十七時でも空は雲で覆い尽くされているだけで、本当に出勤しなくていいのか不安になってきたころに、大粒の、いわゆる鉄砲雨が振り始めて安堵した。

週に2日・一日6時間のアルバイト、週に5日のニート生活が始まって半月が経った。

といっても、最初の一週間は前職を辞めたことによる諸々の手続や周りの方への近況報告、この一週間は実家帰省でそんなにゆっくりできたわけでもなく文字通り瞬く間に過ぎた。
まだ「瞬く間」の最中におり、来週月曜日から四日間なんの予定もいれていないので恐らくその時に脱力ができるんじゃないかなと思っている。

この四月から七月まで、二つ仕事をしていた。
一つは先述の週2日・一日6時間の飲食アルバイトで、もう一つは契約社員雇用で週4日・一日8時間の施設スタッフをしていた。

先月末でその施設スタッフを退職したわけだけど、なんで辞めたのかといわれると正直上手に説明できない。
近況報告をするとき、特に目上の人や(いわゆる)普通に働いている友人にするとき、これで困ってしまう。
精神的に辛くなって、それが身体に支障をきたすようになって、ある日臨界点を突破しパニックを起こしたからだけど、じゃあなんで精神的に辛くなったのかと訊かれると、説明することができなかった。

わたしにとっては、いろんなことが絡み合っていた。

でも、誰かに「説明する」というのは「わかってもらうために説明する」ということで、そのためには絡み合っているそれを「わかりやすく分解して説明」しなくてはいけなくて、無理矢理そうすると
「相手にもプライベートなり他の案件なり別の事情があったんだろうね。」と、言われてしまう。そんなことはわかっている。

いまあなたが飲み込んだ
「もちろんしんどかったのだから無理する必要はないけれど、もう少し踏ん張ることができたらよかったのかもしれないね。」
も、わかっている。

そんな、上手く説明できないものを携えた前職を辞められることが決まったとき、辞めたら脱力しよう。できるだけ空っぽになりたい。と思った。更にその向こうには「わたしの感受性を取り戻したい。」があった。

来週の月曜日以降でできるんじゃないかな、そうしたいなと、言葉にしてみると他人頼みの様だがいやしかしはっきりとした意志が、ここに在る。

どうやったら、
◯身体的に健康で、精神的にも健康で、経済的に少し余裕のある状態を安定させつつ
◯「わたしは何がしたいの?どう在りたいの?」という人生の問いに、その時々の「いまのわたしはこうなの」を体現しながら
生きていけるのだろう。

今日は終戦記念日。

自分のことで精一杯ながらも、毎日の天候に一喜一憂しながらも、世界、日本の情勢に疎くなりたくないし、それは自分のことであり毎日の天候であるという感覚を大切にしたい。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。