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忘れない数字_240203

とあるコンサートへ行ってきた。行くと決めたのは3日ほど前。というのも、中学からの友人がこの春に韓国へ行ってしまうのだが(いつまでなのかはわからないけど、なんとなく1年は下らなさそう)、聞けば渡韓前の最後のコンサートだというのだ。

彼女とは中高と同じバンドに所属していたのだが、会場に着くとその時の仲間がいるではないか!
発見した時向こうはわたし以上に驚いていて、漫画やアニメで言うところの頭上に点がみっつ並んでいるあの状況を再現してくれた。何を隠そう、高校の時に付き合っていた人だった。
東京で仕事をしていた時に偶然会った以来だったのでかれこれ7年ぶりの再会だったが、7年前も、13年前も、そしていまも、その素朴な感じ(をまといながら、話が深くなると非常にソリッドな一面が出てくる感じ)はほとんど変わっていなかった。

1年ちょっと前にお子ちゃんが生まれて「親の近くが良いよね」という話になって、昨年末地元に戻ってきたことや、際して飲食業から営業マンに転身したことなど。いろいろな話を聞かせてくれたが統合すると、いま程良い生活を送っていることがよくよく感じられて、なんだかとっても嬉しくなってしまった。閉店間際のたこ焼き屋さんに駆け込んだら「おまけだよ」とたい焼きを一尾つけてもらったときを思い出した。

コンサートも終わってさあ帰るかという段になり、彼は公共交通機関と歩きで来たというので(ちょっと不便な会場だったのによく来たなあと思う)、近くのJRの駅まで車で送ってあげることにした。
まさか人を乗せることになるとは思ってなかったので少し待ってと、助手席においていた荷物をどけて、本当は足元に散らばる枯れ草とかも払いたかったけどよそ行きの格好をしているから諦め「あまりきれいじゃないけど、どうぞ」と振り返ると、一瞬彼は固まっていたようだった。

目的地をセットしてから、訊ねた。
「軽じゃないから驚いたんでしょ?」
そう。わたしが乗っているのは普通車…しかもSUVで目線の高い、そこそこ幅もある大きめの車だった。昨年のGW明けから車を使うようになったのだがいろいろあって母の車を貸してもらっている。最近車に乗り始めた30の独身女性がこれに乗っていると驚かれることも少なくない。
「え?ああ、確かに小さい車に乗ってるのかなと思ってた」
やっぱり。
と、思うもそこで間が空いた。数台の車と目配せし合ってようやく駐車場を出られたところを見計らって、彼は訊ね返してきた。

「ナンバー、誕生日だよね。」

びっくりした。
いやもうほんとうにびっくりした。その次の瞬間に「恥ずかしい」のビッグウェーブが鳩尾から胸の方へものすごい圧と勢いで込み上げてきて、その波に押し出されるように出た言葉は「なんで知ってるの?!」だった。
彼は、カラッと笑いながら「さっき見たからだよ」と言った。

「『あ、誕生日だ。でも、自分の誕生日をナンバーにするタイプじゃないよな〜』って思ってたんだけど、親の車って聞いて納得したわ。
いや実はさ、うちも一緒で。数年前に帰省した時駅まで迎えに来てもらったんだけど、ちょうど車買い替えたって聞いてたからどれかなってキョロキョロしてたら自分の誕生日のナンバー見つけて。で、運転席見たら母親が乗ってんの。」

車内で二人でケラケラ笑った。「社会人になって一緒に暮らさなくなったのに親は親なんだね〜」とか、「むしろ離れたから誕生日をナンバーにしたりするのかな〜」とかとか、「いやいやもう子どもの誕生日にでもしないとナンバー覚えれないんじゃない?」とかとかとか、好き勝手言い合った。しまいには「親に愛されている同盟」という至極知能指数の低いワードまで生まれた。旧い友人や知り合いと会うと、親しくしていた当時の自分に戻るのだろうか。
そうこうしている内に駅につき、ラストコンサートだった彼女が韓国へ行っちゃう前にまたみんなで会おうと約束をして見送った。

彼が車を降りた後のロータリーで、わたしは、Google mapをセットして帰宅ルートを確認するふりをしながら、自分の「びっくり」の正体を確認していた。

彼が「迎えを頼んだら、自分の誕生日ナンバーの車を見つけた」と話してくれた時に「ああ、525だったんだね」と言えばよかったな、と思ったところでサイドブレーキを解除した。

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。