2014.09.12 奥羽本線
難所を克服し、大勢の人が行き交い、文化と産物が入り交じる。道を作るとはそういうことで、この山がちな国土を往なす工事が明治維新以降数え切れないほど続けられている。万世大路と呼ばれた栗子峠もその一つだ。道路が難路なら、鉄路も難路。板谷峠は碓氷峠・セノハチと並ぶ難鉄路として恐れられてきた。今でこそ山形新幹線がスイーっと通るように見えるが、峠の小駅には、今も山を越すために死力を尽くした遺構が残っている。
板谷駅もかつてはスイッチバック。ポイントを雪から守るためのスノーシェッドが今も駅を覆い、勾配標が山の厳しさを無言で問いかけている。貨物や特急の代わりに、719系と新幹線が標準軌の線路を駆け抜けていく。雄大な山の中に人工物があるミスマッチ感は、当時の自分を虜にさせるには十分だった。その魔法は、良いか悪いか今も解けそうにない。