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2022.10.15 京成電車

鉄道開業150周年は、コロナ禍で落ち込む鉄道事業者にとっては久しぶりの明るい話題となったようだ。JR各社も記念切符を発売したりと一種お祭り騒ぎ。ふと地元のソウルレールこと京成に目をやると、記念切符はもちろん、もはや鉄道の日との関係がわからない3600形ファイアーオレンジ塗装車の臨時列車が走るという。よく見ると本線急行廃止20周年記念らしい。よく覚えてたなそんなこと。とりあえず行くことにした。 最終便で羽田に飛び、上野のサウナで夜を明かした。運用を調べると、残り1編成となった

2022.10.01〜02  只見線

暗い話題の多いローカル線の去就。久しぶりの明るいニュースが只見線の全線復活であろう。地域輸送としての役割はもはや終わりかけた閑散路線を、地元は観光路線として復活させる覚悟を決めた。11年ぶりの鉄路復活日に合わせてDE10牽引の旧客臨時も走るという。天気予報も悪くない。久しぶりに祭りに身を投じる覚悟を決め、退勤後成田にテイクオフ。友人の車で奥只見の地を目指した。 沿線は夜中からレンタカーや他県ナンバー、道路脇の不思議な駐車など前夜祭の様相。混まない大穴を狙い、「会津のマッター

2022.06.13 仙台市地下鉄

せっかくの平日連休だが、あいにく梅雨時。全国的に天気予報はイマイチ。本当は伯備詣にでも行きたいところだが、わざわざ遠征してロケハンに徹するのももったいない。であれば行くだけでも意味がある場所を選びたい。大学時代を過ごした街、仙台は私にとって第二のふるさと。久々に行きたいところも山ほどある。晴れればラッキーの気持ちで仙台空港へのチケットを抑えることにした。 12日から仙台に入り、果たして13日は悪くない天気だった。晴れプランとして用意したのが地下鉄南北線。1000系も気づけば

2021.12.05 京成電車

生まれてからずっと慣れ親しんだ京成電車も、東京を離れてしまうとなかなか撮りに行こうとは思わないものだ。しかし、だからこそ「もう一度京成」という機運になる時がある。一種自分の腕試し的なもので、かつてはこう撮ったが、今ならどうする?という自問自答をする時間。それがいまの私にとっての京成なのかもしれない。 冬の低い光線は3000形に痛いほど降り注いでいた。安易に京成小岩のカーブを撮影地に選んだものの、案外架線柱がうるさくて撮るに撮れない。悩んでいると見頃にギラリしているのを見つけ

2020.04.05〜06 常磐線

疫病が流行ったとて季節は巡り花は咲く。震災から9年経ったこの年、ついに常磐線が全線再開となった。未だ戻れぬふるさとはあれど、インフラの復旧は喜ばしいことにほかならない。まさに祝福の桜の季節である。今はただ懐かしいこの東北の地で、わたしが何を残しただろう。コロナ禍にはあったが、再び宮城と福島を走る特急ひたちの姿を見つめることにした。 4日夕刻に仙台空港に降り立ち、レンタカーで常磐沿線を南下する。車中なら感染リスクも低かろう。翌朝は浪江駅からスタートした。天気は生憎の雨。土地勘

2019.02.02 石巻線

学生時代、通い倒した石巻線。休暇の終わりに仙台に寄ったついでに、1年ぶりに再訪することにした。狙いはもちろんDE10。貨物列車である。土曜日だが、しっかり運行されているはずである。かつて通った撮影地を尋ねるエモーショナルな旅にする魂胆であった。 前日は遅くまで飲んでしまったので、出発は昼前にずれこんだ。到着する頃にはもう昼過ぎ。2月の低い光線だと、すでに西日の色合いとなっていた。かつて通い詰めた曽波神のカーブに三脚を据え、かつて追い求めた被写体を見つめた。 最後も夕日が映

2018.05.26〜27 只見線②

2日目も天気はバリ晴れ。こんな幸運があって良いのだろうか!道の駅でのマルヨから目覚め、この日も飽きずに六十六里越の方向に車を走らせた。 まずは田子倉手前の国道沿いから、小さなスノーシェッドを越えたストレートを狙うことにした。この日も新潟色の2連は続投のようで、初夏のあたたかな日差しのもと、エンジン音とともに古老が姿を現した。 この日も臨時列車は大盛況。大白川駅での離合を俯瞰すると、臨時列車が到着するやいなや、ホームはいつにない人混みとなった。離合相手はさきほどの新潟色。大

2018.05.26〜27 只見線①

道民になり1ヶ月、友人から「国鉄色臨時が只見を走るぞ」と連絡が来た。まだ研修期間中で幸い土日休み。悪くない提案である。さっそく飛行機を手配し、5月25日の退勤後、千歳から羽田に飛んだ。天気予報も上々。都内で友人と合流し、深夜の関越道から週末が始まった。 到着した沿線はバリ晴れ!朝の大白川折返しの列車は仮眠のため捨て、一気に六十六里越へ。好天・週末・臨時とあって沿線は同業者で賑わっていた。この区間1本目の列車は、田子倉駅跡近くの国道沿いからスノーシェッドを飛び出すところを抑え

紙つなげ 石巻線貨物

宮城県の小牛田駅と石巻駅を結ぶ石巻線。ローカル線ながら、定期貨物列車が設定されている路線だ。その昔は無蓋車も走ったものだが、数年前でもコンテナが並ぶDE10牽引の造形美を一日中見ることができた。釜の更新や本数削減が進む前に通い倒した一部を振り返る。 石巻線は水田の中を走る路線である。水入れの春、貨物は青空を映す鏡の上を走るようにも見える。当時住んでいた仙台からは片道1時間程度。田んぼに水が入る時期、晴れそうな日は朝から出撃を繰り返した。当時は1日7往復の定期貨物。初夏のそよ

2018.03.23 常磐線

春は別れの季節。卒業式を間近に控え、仙台での4年間を惜しむように日々送別会で飲んだくれていると、高校時代の知り合いから撮影の誘いがあった。連日連夜アルコールに浸っているさなかだが、午前中は空いている。快諾するやいなや、午前3時に仙台で拉致され、夜が開ける頃には福島県浪江町にいた。 目当てはひとつ、719系である。仙台の719系も風前の灯火。常磐線全線開通の暁には置き換えられているのは目に見えていた。幸いこの年の改正を経ても常磐線原ノ町〜浪江間の車両には多くの719系が充当さ

2018.01.20 福島市周辺

仙台に戻って数日、別の知人からお誘いを受けやってきたのは福島市。奥羽線やら飯坂電車やらと「そういえば撮ってない」ものがわりとある場所だった。冬の柔らかい日差しに包まれて小旅行が始まる。 朝イチで向かったのは奥羽線・庭坂の大カーブ。天気は良いので期待できる。まずやってきたのは719系。私が仙台にいた4年間でどんどん見る機会も減り、気がつけばこの標準軌用5000番台が主たる運用になってしまった。その次はE3系つばさ。色というより、デザインとライトがどうも合わない気がするのは私だ

2017.12.24 ガーラ湯沢駅

只見線の撮影を切り上げ、東京に帰りつつの寄り道として思いついたのはガーラ湯沢駅だった。スキーのために行ったことはあれど、駅をきちんと見たことはないかもしれない。何より、E4の引退も近いと聞く。ガーラ湯沢駅に来る列車は多くがMax。つまり効率よくスナップが撮れるのである。早速行ってみよう。 ピンクのラインはトキを表す。オール2階建ての編成は新潟の繁栄を感じさせた。その巨体で越後山脈を貫く様はまごうことなき上越新幹線のエース。とはいえ、時代は莫大な輸送力を欲さなくなったのもまた

2017.12.24 只見線

気がついたら冬になっていた。卒論に追われて11月からはロクにカメラを握れていない。しかし不思議なもので提出を目前に控えると、許されるボーダーの可視化に成功し、ギリギリの諦めラインが見えるようになってきた。そうなると人間、時間をこじ開けて撮影に行きたくなるもの。まあなんとかなるさと早々に帰京し、友人とともに関越道を北進。只見線小出口に向かうことにしたのである。 徹夜の運転は正直体に堪える。いつもいつも小出から国道252号に入ったときには頭痛と戦っている気がするし、少なくとも毎

2017.09.19 岩手開発鉄道

仙台から北に180キロ。県境を越えて岩手県に入ってすぐの場所に位置するのが大船渡市である。太平洋に面した街で、当然津波による甚大な被害を受けた。ここに走るのが、石灰石輸送を使命とした10kmあまりの路線・岩手開発鉄道である。山で採れた石灰石を太平洋セメントの工場に運ぶ貨物列車が、1日10〜18往復程度というそこそこの高頻度で運転されているが、場所が場所だけに訪れる人は多くない。せっかく仙台にいることだし、行ってみることにした。 例のごとく夜に仙台を出発し、高速と下道でおよそ