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偏差値40が国立大医学部に合格するまで②~浪人が失敗した君へ~

この記事は前回の「偏差値40が国立大医学部に合格するまで①~10年前の君へ~」の続編となりますので、興味がある方はそちらの記事もご覧ください。

●1浪目

そんなこんなで浪人が始まった私。

春の日差しの下、多くの同級生が(第一志望が叶ったかはさておき)大学の門をくぐる中、私は某大手予備校の薄暗い駐輪場へ消えていきました。

大学生のキラキラSNS。

当時の自分には耐えられず、

「絶対医学部に入ってやる」

そういう負のエネルギーを心の中に蓄えていました。

ただ、1浪目は孤独なものではなく、予備校に通う友人も多くて、"同志"と共に来春の勝利を夢見ていました。


予備校の授業は衝撃的でした。

非常に分かりやすい。

常に刺激的。

私は一気に賢くなった気がしました。

だから、模試の結果が芳しくなくても気にしませんでした。だって、賢くなってる"はず"だから。本番までには伸びる"はず"だから。

そういった意味で、極端に言えば予備校講師っていうのは如何に生徒に夢を見せられるかが大事なのであって、芸能人とかマジシャンとか、そういうのに近いんだと思う。

彼らは浪人生のコンプレックスにうまく漬け込んで、難しいことを分かった気にさせる賢さがある。でも、それに引っかかるのはただの馬鹿で、浪人してしかるべきな連中だけ。もっと賢いヤツらは講師を利用して着実に実力を付けていく。そういうヤツらが合格していく。

今にして思えば、その「賢いヤツ」は私の友人たちであって、私ではなかったのです。

1浪目の友人とのエピソードは多くあって、1つ1つを書いていくとキリが無いのですが、ただ1人ぜひ書き留めておきたい友人がいます。浪人とはあんまり関係ないので、興味がない方は読み飛ばしてください。

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彼は私の友人の中で(性格は悪いけど)最も頭の良い男です。今でもそう思うし、難題にぶち当たると「あいつなら何て考えるんだろう」といつも考えています。

彼の凄さは、思考の面白さと集中力。

化学や物理の話(ノイマンとかファインマンとか)が大好きで、授業終わりの帰り道、よく私と話していたのですが、彼独自の面白い考えを持っていて「そういう発想もできるのか」とよく感心させられました。また、ボケも冴えわたるものがあって、笑いを取ることに長けていたんです。

受験勉強に関して言えば、朝から晩まで自習室の奥から2列目の前から3番目の席に座り、1人集中して黙々と勉強。ペンを走らせているというよりは、問題を丁寧に分解して解決していくというのが彼のスタイルでした。

彼は某大学オープン模試で冊子掲載を果たして某1流大学理学部に合格しました。私は(当然)不合格だったのですが、最後に2浪目に向けて彼のノートと化学の新研究を貰いました。それを見て驚いた。思考の過程やちょっとした知識が事細かく書いてあったのです。

「完敗だ」

打ちのめされた気持ちでした。論理的思考力がどうのこうの言っている意識高い系大学生に見せてやりたいくらいでした。

でも、この経験があったからこそ今の自分があるんだと思います。

まあ、これだけ褒めてやったので次回彼に会った時には飯でもおごってもらいたいもんですが。。

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賢くなったつもりだったのも束の間。

1浪目で医学部に合格することができませんでした。あろう事かセンター試験の結果が昨年とあまり変わらなかったのです。(数学IIBは40点しか取れませんでした。)

敗因は2つ。

1つは、苦手な数学から逃げ、好きな理科や英語ばかり勉強していた。

もう1つは、そもそも勉強量の不十分だった。

1浪目の私の1日のスケジュールは、9:00に予備校に行って、17:00まで授業、そこから自習室で21:00まで英語と理科だけ勉強してから帰る、という形でした。しかも、英語と理科も王道の勉強というより、所謂重箱の隅をつつくような知識(例えばリンドラー触媒とか)を手に入れては悦に入るようなことばかりやっていたので、偏差値は全く変化なし。

記述模試もマーク模試も良くてC判定。なぜかこれに満足してしまう自分。数学に至っては偏差値が良くても47。現役時の40よりは改善したものの、相変わらず論外な成績でした。

にもかかわらず、医学部受験で最も大事な数学という爆弾を放置していたわけなので、受かるはずがなかったのです。

また、周りの人で難関大学に合格した連中は毎日死にものぐるいで勉強していたのにもかかわらず、私は秋以降から段々朝が起きれなくなり、とうとう予備校に行かなくなることが増えてました。浪人というマイナスからのスタートなのに、これでは頭のレベルが上がる訳ありません。自分が馬鹿から脱却するにはそれ相応の気力と時間が必要なのです。それすら気付けない当時の自分は救いようの無い愚か者でした。

歴史の授業で戦に負けた武将を習うと思うのですが、中には「こんなことしたら負けるって普通に考えたらわかるやろ」と突っ込みたくなる人もいます。当時の自分はまさにその落武者。本当に負けているときは案外愚かな自分に気づかないのです。

こうして1浪目が失敗。

受けた大学は医学部だけだったので、強制的に2浪目突入。

成績が伸びなかったことや親しかったほとんどの友人が第一志望を叶え、去っていったことからようやく気づきます。 


「俺って大したことねーな」


(続く)




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