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花の声を聞く 【小説・1】

(この作品には、PG-12程度の表現が含まれております)


小学生の頃、通学路に咲いていた花を思い出す。


真っ白なラッパ型の花弁が目線の上方から一斉に垂れ下がるダチュラの花だ。
細長く尖った花弁の先端や、他の草花より際立った筋を持つこの花が秀ひいずは少々苦手だった。
「見て見て秀(ひいず)、この花いい匂いがする」
ある日の帰り道、その花の存在に気付いた少女は民家の前で立ち止まって嬉しそうに花に顔を寄せた。
「ダチュラだな。エンジェルトランペットとも言うんだって」
「へぇー可愛い名前だね」
エへへと笑って少女が、がくの付け根に手を伸ばすと同時にパカーン!と景気の良い音が周りに響き渡り、電線に羽を休めていた鳩が二羽、音に驚き飛び去っていく。
そのエコーが一通り終わった後、じんじんと痛む頭を抱えていた少女は猛然と立ち上がり、赤いランドセルを頭上に振りかざした。
「なにすんのよバカ秀!」
 秀は次々と迫り来るその攻撃をするするとかわし、
「この花には毒があるんだって、母さんが言ってた。だから触っちゃいけないんだって」
 仏頂面で言ってのけた。
 少女はぴたりと手を止め、
「……そうなの?」
「俺が嘘ついたことあるか?」
「……ない」
 一瞬だけ泣きそうな顔になり、白い花に目を遣った。
「可愛い名前なのにな」

ダチュラが咲き始めた初夏の、一週間もすればあっさりと忘れてしまえる日常の会話だった。

思い出すきっかけさえなかったら。


八年の歳月が過ぎて、秀は高校生になっていた。
高校は一週間後の文化祭に向けての本格的な準備期間に入っており、そわそわと浮足立った雰囲気を見せている。

秀にとっては高校生活最後の文化祭だが、今日だけは放課後の準備を抜けるつもりでいた。
クラスでの展示物の制作が予定より遅れていたため、学級委員である女生徒にすこぶる嫌な顔をされたが正直な理由を話す気には到底なれなかった。言いよどんでいると、小学校からの腐れ縁である友人が差し障りのない言い訳をしてくれた。彼は秀をグイグイと廊下に押し出し、肩を組んできてこっそりと、
「秀さぁ、ああいうのは歯医者に行くとかテキトーに言っとけばいいんだよ」
「悪い」
「あと委員長は絶対おまえに気がある」
「そうか?」
「明日の昼飯カツ丼な」 

ニヤリと笑い、続けて、


「行って来いよ、墓参り」

そう言って秀の背中を押した。


高校生活は楽しかった。
中学校までとは違ってCDやマンガを持ち込んでも怒られないし(もちろん授業中でなければ)、購買部で売っている例のカツ丼は美味しいし、気の合う友達も増えた。

ただ。

今でも事あるごとに思う。
――鈴舟(すずぶね)いさらがここにいたら、と。

きっと今時の普通の女子高生になっていたはずだ。放課後には友達と買い物をしたり、ひょっとしたら彼氏だっていたかも知れない。思春期を迎えてだんだん言葉を交わすこともなくなり、今頃はお互いが幼なじみだったことさえ忘れて、それぞれの青春を謳歌していただろう。

八年前にいさらが殺されてさえいなければ。

死は強烈な印象を人に与える。生きている姿を間近で見ている人間には尚更だ。だから秀は忘れない。

いさらが近所に住んでいた幼稚園の頃からのケンカ友達だったことも、小学三年生の時に両親が離婚して母親と二人で暮らしていたことも。

いさらを殺したあの人のことも。

いさらの墓は、家の最寄り駅から電車で二十分とそこから徒歩十分の所にある寺の墓地にあった。

電車を降りると小さなロータリーがあり、客待ちのタクシーが数台停まっている。駅前の小さな花屋で花を買い、古い商店や住宅が並ぶ道を歩きながら去年の墓参りの時は雨が降っていたことを思い出した。一年前の秋の雨は冷たかったが、今日は落ちる夕日と共にあっという間に冷えてしまうであろうはかない暖かさを孕んだ晴天だ。

八年前のあの日の記憶が、スクリーンに映し出す映写機のフィルムのようにゆっくり、静かに、動き出す。

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