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花の声を聞く 【小説・4】

(この作品には、PG-12程度の表現が含まれております)

幼なじみの死を秀(ひいず)に告げたのはマサエだった。

智也子はいさらを連れ帰った後、母子心中を図ったのだという。先にいさらを手にかけたものの智也子だけは死に切れず、娘の遺体を前に座り込んでいるところを発見された。第一発見者は、いさらの無断欠席を不審に思い昼休みに訪ねて来た担任教諭だったそうだ。

そういえば午後の授業はずっと自習だった。だがその理由も、いさらが今日なぜ学校に来なかったのかも、秀はこの時まで考えてなどいなかった。

智也子がいさらの許に戻って来たから。

私が育てると智也子が言ったから。

いさらが以前の生活を、ようやく取り戻したと思っていたから。

なのに。

いさらは死んだ。

その言葉だけが頭の中を支配する。

死体を見てもいないのに。

いさらは昨日まで、動いて喋って笑っていたのに。

死ぬって一体どういうことだ?

いさらはきっと泣いていた。

生きる最後の——最期まで。

マサエは立ちすくむ秀を抱き寄せ、声を押し殺して泣いた。頭の中が綿でも詰まっているかのようにふわふわと軽くなり、何も考えることが出来なくなった。

それから数日間、秀は熱を出して寝込んだ。吐き気がして何も口に出来ず、二日で四キロも痩せた。マサエも体調を崩していたが、警察の事情聴取を何度か受けたようだった。

三日振りに行く小学校は何となくいつもと違って見えた。

まだ秋だというのに昇降口の白い壁や床はあまりに冷たく、教室の前を通れば児童達のさざめくような気配だけがして、日の当たらない廊下の向こうからいるはずのない誰かが歩いて来そうな寒々しさが秀を襲った。

教室のドアを開けると、クラスメートの視線が一斉に秀に集まった。

「建部(たけべ)くん!」
そう言って駆け寄って来たのは、いさらと一番仲の良かった澪(みお)という女の子だ。

秀の前まで来た澪の表情が、一瞬凍った。急激に痩せた秀の様子に戸惑ったらしい。
澪が面を下に向けると長いストレートヘアがさらりと流れ落ちた。小さな声を振り絞るように彼女は言った。

「いさらちゃん、ホントに死んじゃったの…?」

——もう、校内の誰もが知っている。夢でも幻でもない事実。

返事をしようにも、声が出ない。

「校長先生は事故だったって言うけど」

——事故だって?

「ホントは…」

澪の言葉は、担任教師日下部の到着によって遮られた。

日下部は大きな手のひらで秀の頭をポンと叩き、

「大丈夫か?無理しなくていいぞ」

すたすたと教壇に上がっていった。
この、いさらの死の第一発見者はいつも通り張りのある声ではあるが、やはり幾らかやつれているようだ。
朝の会も授業中も、教室の空気は澱のように沈み切っていた。

一時間目の休み時間に秀は職員室に呼び出され、一角の応接スペースで日下部と向かい合った。

「今回の件は君もショックだっただろう」
秀は背中を丸め、テーブルクロスのレース模様をぼんやりと眺める。
「体調はどうだい?」
「食欲が…まだありません」
「そうか…」
日下部はすっと深く息を吸い、

「一昨日緊急で全校集会と保護者会を開いてね、鈴舟さんのことを報告したんだが…君はあの子がなぜ死んだのか、知ってるかい?」
「…母子心中で…」
秀は顔も上げずにぼそりと言った。

日下部は今度は大きく息を吐き、
「そうか、知ってたか…辛いだろうね。僕も現場を見つけた時は正直…いや、君に話すべきことじゃないな」
そう言って顔をしかめ手で口元を押さえた。

「実は児童には鈴舟さんは事故で亡くなったと説明してあるんだ。だから建部くんには、本当のことは黙っていて欲しい」

思いもよらぬ担任の提案に、秀はゆっくりと顔を上げた。

「なんでですか」
「子供が親に殺されたなんて聞いたら、大人不信になる子がいるかも知れないだろう?君達はまだ小学生だからね、大人に頼らないと生きていけない。真実を知っている君は辛いだろうが…保護者の方々にもそれは説明してあるよ」
日下部はそこまで言うと、壁時計を見て立ち上がった。

「じゃあよろしくね。体調が優れない時はすぐに言うんだよ」

今さらだ。
もう、とっくに気付いている。
少なくともいさらのクラスメート達は。

澪はこう言いかけたのだ。

「ホントは…お母さんに殺されたんでしょう?」

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