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My battery is flat.

最近、充電が完全に切れています。

もちろん、やりたいことはたくさんある。
現に、noteは(なるべくですが)毎日投稿を続けることができています。
大学生のうちにやっておきたいことも実際に形にしていきたくて、色々アイデアがあふれています。

一方で、「やらなければならないこと」に対して行動を起こすための充電が、完全に切れている状態です。


この「やらなければならないこと」は、長きにわたって私を支配し続けてきました。

今までの私は、他者からの評価を気にして、ちょっとつついただけで粉々に砕けるレベルのちっぽけなプライドを保つために、「するべき」「しなければ」思考の下で行動してきました。
責任感とか、人の期待に応えようとする気持ちが強かった、というか、今でもつよつよです。

私にとって、「するべき」ことは、その行動を起こすために、ある程度のエネルギーが必要です。
でも、一度始めてしまえば、慣性の法則が働いているかのように走り続けることができるのです。
なぜ走り続けることができるのか。

それは、
私の心の声、心のつぶやきを無視する習慣ができてしまうからです。

「本当は~~したい、けど~~しなければ」


これに慣れてしまうと、「~しなきゃ」や「目の前の締め切り」に支配されてしまって、頭は常にフル回転の状態で走り続けることが可能になります。
ただ、代償として、自分の心の声が聞こえなくなってしまいます。

「やりたい」ことすらわからなくなって、大好きな音楽を聴くことすらできなくなった時期もありました。

西粟倉のフィールドワークに行くまで、私はこの「~しなければ」思考に囚われてしまっていたことにも気づいていなかったのです。



西粟倉でのフィールドワークでは、就活以来となる、自分自身との対話を行う機会にあふれていました。
特に、「心が動いたものワーク」は、自分の心を見つめる時間になりました。
心の赴くままに、足を動かし、五感を解放する経験でした。
それは、言い換えれば、足元で踏みつぶされ続けてぐちゃぐちゃになった「したい」たちに気づき、拾い上げる時間だったのです。

それを実践することができる環境が西粟倉村であり、フィールドワークでした。
何より、フィールドワークで出会った方々のおかげだったのです。

心が動いたものワークで撮影した一枚

フィールドワークによって、私は「したい」という感情を取り戻したと言っても過言ではありません。
「今までどんだけやりたいことを無視してきたんや!」と肝を冷やしています。

「したいこといっぱいあるよ!ずっと無視されてきたけど!」by心の声

ごめんて。
ただ、やらなければならないことをやるのも大切ではあると思うのです。
大事なのは、やりたいこと、やらなければならないことのバランスをとることじゃないでしょうか。

とりあえず、今は"should! have to!"に囚われてきた自分(=充電が切れた自分)に気づいた状態。
ポジティブに考えれば、今気づけてよかった!


問題は、後期が始まっていて、絶賛締め切りに追われている中、どうやって充電するのかって話、、、

結局、この問題に悩んでいるってことは、
やらなければならない>>>>>やりたいこと
になっている訳で、やっぱり「~すべき」に囚われてる。

偉そうに「バランスとるのが大事」とか言ってますけど、
だれかバランスのとり方教えてください。



今日、久しぶりに家の近くで「心が動いたものワーク」を敢行して、自分の心とお話してきました。最初はそっぽを向いて押し黙っていましたが、徐々にぼそぼそとお話してくれました。


気づけばもう稲刈りの時期ですね。青と黄金色のコントラストに心奪われました。



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