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死ねと叫びたくなる病

大きな地震の後に、縁起でもないテーマですみません💧人間誰しも、人に対して実際に叫んだことはないにしても、死ねと叫びたくなったことなんて一度もないなんて人は世の中居ないと思います。
それぐらい、本当心から嫌いだとおもう相手がいたり、ムカついたり、イラッとすることや、そんなやつの一人や二人そこそこ生きていた人間であればいると思います。

しかし、他人に死ねというのは絶対にしてはいけないと、物心ついたときから教育されていたと思います。例えば子供が第三者に対してたとえふざけてでも、死ねと叫んだりしたら、大人は血相を変えて叱るというのは当たり前のことだと思います。

しかし、実際に面と向かって死ねと叫ぶのはダメなことですが、死ねと叫びたくなる心情は仕方がないことだと思います。どうして、そのような心情が生まれるのか?

死ねと叫びたくなるぐらい何かにイライラしてるとき。

イライラの原因の特定の人がいる場合、その人に対して耐えていた結果の最悪事象として、そう叫んでしまう場合。

という場合があると思います。

死ねと叫ぶ人

死ねと叫ばれる人

どちらも実は病なのかなと思います。

暴言を吐く病 VS 暴言を吐かれる病

八つ当たりをする病 VS 八つ当たりをされる病

自分は強いんだアピールをしたい病 VS 受け止める病

人に干渉されたくない病 VS お節介な病

あとは、


結局のところ面白くないという病

なのかなと思います。

何故そんな病になってしまうのか?

自分の頑張りを認めてもらえない、自分に合わない環境にいる、色々無理をしている などなどかなと思います。

例えば、外国人が日本語を勉強していく中では、そんな気持ちの葛藤は沢山あると思います。ましてやもし日本で生活しながら勉強してるとすると、理不尽だなと思うことだったり、死ねと叫びたくなることは沢山あると思います。

もし、日本語を誰かに習ってたら、指導方法に問題がある先生だったり、唯一喋れる日本人が先生だったりしたら、八つ当たり的に、先生に死ねとか叫んでしまう人もいるかもしれません。

必死だから、自分の思っていることが上手に日本語で伝えることができないから、自分の思い通りにならないから、努力が実らないから、漢字が覚えられないから などなど

いらいらいらいらが続くと、本当は誰に対してとかではなく、死ねと叫びたくなることもあるかもしれません。

では、死ねと叫ばなくていいようするには?

別の方法で発散する!

もし、死ねと叫ばれたら、死ねと叫ばれそうだと思ったら、

発散方法を教える!

かなり、いい加減だとか、理想論だと言う人もいるかと思いますが…。。

死ねと叫びたくなる前に、解消できること、発散できることは、また別の機会に書こうと思います。

ひとつは、孤独を解消することかなともおもったり??

なかなかシビアですが…。

変な話で中途半端ですが、今日はこの辺で。

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。









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