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空気は読めるわけがない!

本日は、空気が読めない話を突然に…。

KYという言葉が世の中に出てきたのはいつごろからだろうか?と調べてみたら、2006年頃から女子高生の間で使われるようになり、2007年流行語大賞にノミネートされたそうです。

自身の時代は人が多い世代にも関わらず、超就職氷河期で苦労したため、わずかな椅子の取り合いだったからこその空気を読むということを強要されていた気がします。しかし、実際のところ特に理系はKYな人間が多く、それは自他ともに認めてるところもありながらも、以前書いた、リケジョの例のような日々を仕事でも、プライベートでも送ってるのが実情の私です…。

まあーとはいえ、日本人でも、KYでもたまに問題起こしながらも、それなりに生きていける環境も僅かながらにあるのです…。


それでもって、そもそも、空気を読むことは本当に必要なのでしょうか?

空気を読みすぎて疲れてる人も多いのではと思う時もあります。

ただ、日本社会で生きていくには大事なとこだという方は多いかもしれません。

しかし、それを誰しもに強要しないといけない社会もいかがなものかなと思ったりもします。

誰しもが本当は思ってること…。

空気は読めるわけがない!

そして、空気は読まなくていい…。自分らしく生きろ!

本音はそれでいいと思ってます。

しかし、日本語教師が日本語を教える上で、当たり前と思って取り組まないといけないと思いながらも、ちょっと…。を教えるとか、やはり空気を読むことを実践的に教えないといけないのねと思いながら取り組んでた日本語教師養成講座でしたが…。

実は本日すべての科目が終了しました👏

あとは、来月から予定している教育支援者実習を残すだけとなりました。

思ってた以上、結構大変でしたというのが今の感想です。しかし、まだ教育実習が終わってないのでなんだか宙ぶらりんな気持ちです…。

空気を読むことに対して、どうしていくか?教師実習のなかで、色々考えていこうおもいます。


ということで、本日はかなり短めですが、この辺で。
最後までお読みいただきありがとうございます😊


本日のビールは、ベルギービール界のドンペリと勝手にわたしは呼んでいる、DEUSで乾杯🍻






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