ミュージカル『DEATH TAKES A HOLIDAY』感想~軽妙な人生と愛の賛歌~
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/deathtakesaholiday/index.html
ミュージカル『DEATH TAKES A HOLIDAY』を観劇した。大好きな月組による海外ミュージカル作品ということで非常に楽しみにしていたが、期待を裏切らない作品だった。感想や考察など書いていくがネタバレを含むので読まれる方は注意をお願いします。
作品の概要とテーマ
まずは宝塚歌劇公式HPの作品解説を引用する。
第一次世界大戦やスペイン風邪の流行によってあまりに多くの死を見届けてきた死神が、自分の仕事に疲れ果て、ロシア貴族の体を借りてイタリアの富豪の屋敷で休暇を過ごし、様々な人との交流を通じて人間にとっての生と死そして愛するということについて学んでいくというストーリー。重いテーマながら、コミカルな場面が多く、モーリー・イェストン氏の軽快で心躍る音楽に彩られた作品は、上質なエンタメ作品になっている。
物語には多くの登場人物と、複数のエピソードが並行して展開され、全てが生と死そして愛という軸につながっている。ここではメインの3つのエピソードを考察してみたい。
ロベルト
死神が滞在するランベルティ公爵夫妻には、第一次世界大戦で亡くなったロベルトという息子がいた。そして、ロベルトをあの世へ導いたのは死神である。だから、ランベルティ公爵夫妻、ロベルトの元妻のアリス、ロベルトの親友であったエリックにとっては、死神は愛する人を連れ去った存在である。
ロベルトの死を巡るエピソードは、人間にとって理不尽な死が避けがたいものであり、愛する人を自分のもとから連れ去らないで欲しいという切なる願いでもある。そして物語のラストにグラツィアがまた死神に連れ去られてしまうことで、その願いが聞き届けられないことを象徴しているようにも思う。
一方で、ロベルトの死の喪失を乗り越えてエリックとアリスの二人は新しい一歩を踏み出す。死は喪失であると同時に、新しいものの創造につながるものでもあるのだ。
ダリオとエヴァンジェリーナ
屋敷に滞在する老婦人エヴァンジェリーナとその主治医ダリオは、年若い頃にお互いに初恋の相手だった。しかし、恋は成就せずエヴァンジェリーナはマリオと結婚する。マリオはその後戦争で命を落とし、残されたエヴァンジェリーナはマリオの死を受け入れられず、自分の面倒をみてくれるダリオをマリオと認識して生きている。ダリオとエヴァンジェリーナは、穏やかな老年の時間を共に過ごしているが、悲しいすれ違いカップルでもある。
ここに死神の登場が変化をもたらす。悠久の時を過ごしてきた死神であるが、人間として生きるのは初めてなので老年の2人は人生の大先輩になる。酸いも甘いも知り尽くしたダリオは、辛いこともあってこそ人生だと笑い飛ばし、感性が普通より優れたエヴァンジェリーナは、死神の正体を見抜き、死神が自分を誘いに来たと楽しそうに話す。死神は彼らから多くのことを学び成長する。
逆に死神も彼らに変化をもたらす。死神が休暇を取ったことが影響し、ダリオは身体の不調が回復し、エヴァンジェリーナも頭の中の霧が晴れてダリオをきちんと認識する。結果、彼らは結婚することになる。二人のロマンスは死神からのギフトだ。死神がいる間だけの束の間の幸福かもしれないが、それでもいい。
老年の二人にとって、もはや死は忌避すべき存在ではなく受け入れる準備ができている。一方で、辛い出来事も含めて人生を全力で肯定し、今を精一杯生きようとしている。自分自身も到達したいと思うような死生観だと思った。
グラツィア
本作で死神と恋に落ちるヒロインのグラツィアは、婚約者の無軌道な若者コラードが起こした事故により、本来は冒頭の場面で命を落とすはずであった。死神が休暇を取ったことで、死なずにすんだグラツィアであるが、物語の最後に死神との愛を選んだことで、現世においては命を落とすことになる。
グラツィアのエピソードは、個人的にはすこしスッキリしないところがある。グラツィアのエピソードが伝えようとしているメッセージは、愛が死を超越するというものだと思う。象徴的なのは劇中に出てくる洞窟の恋人たちの昔話で、親の理解が得られず引き離されることになった恋人たちが、手をつないで湖に身を投げる。この物語に対して「死は常に悲劇的なものか?」という問いをし、必ずしもそうではないという答えをする。だから本作においては心中は肯定されている。
グラツィアの選択は、この考え方に基づくものだろう。人の世界を離れなければならない死神と離れ離れにならないためには、死を選ぶ必要があった。
個人的にスッキリしないポイントは2つで、1つはグラツィアが死を選ぶほどに死神に惹かれる過程に説得力が乏しいこと。上述したロベルトやマリオの死とそれを巡る人々の苦悩は、何年も時間をかけて蓄積したものだ。それに対して死神の休暇はたった2日ほど。その間に死ぬほどの愛を育むというのは流石に無理があるし、どうしても死を軽く取り扱っているように見えてしまう。もう1つは、本作の中で相反するように見えるメッセージが混在することで、メッセージの説得力を落としてしまっている点。死を前にして、あと1日、あと1時間でも生きたいと願うのが人間だというメッセージと、愛のために死を選ぶというメッセージが混在しては、観ている側は混乱してしまう。
成長著しい月組生
今回一番驚いたのは、月組生の成長が著しいことだ。宝塚の観劇を続けていると短期間で驚異的な成長を目にすることがある。よくあるのは、組内の立場が変わったときに、自覚が芽生えて成長するパターンと、ミュージカル作品や大作など作品が実力を要求して、それに応える形で成長するパターンだ。
今回は、その両方なのかもしれない。前回の大劇場公演で、月組は組長の光月るうを始め多くの屋台骨が抜けている。そして本作の素晴らしい楽曲は、実力を要求する難易度の高いものだ。その結果、つい2ヶ月前と比べてびっくりするほど成長している。
特に成長著しいと感じたのは、海野美月、夢奈瑠音、彩みちるの3人。3人とも魅力的なスターだがこれまで歌唱力には若干課題があった。しかし、本作ではこれまで安定感や伸びに不安があった歌唱が劇的に改善していた。3人とも研10以上の上級生で、上級生でもこんなに成長できるんだという驚きがあった。
まとめ
本作は、コミカルな展開に笑いが起き、素晴らしい楽曲と歌唱に心奪われるエンタメ作品でありながら、生と死と愛について考えるきっかけをくれるテーマ性のある作品でもある。多面的な視点が示されるが故に、一貫性や行動の説得力に欠けるように感じられる面もあるが、私にとって、とても好きな作品となった。
今の月組にとっても、多くの退団者が出たあとでメンバーの成長のきっかけにもなったと思う。また、海野美月の歌唱面での成長により、月城かなととのトップコンビは、本当の意味で完成したと感じた。添い遂げになるのか、後妻を取るのかはわからないが、トップコンビとしての任期は終わりに近づいているだろう。この作品を残すことができて良かったと心から思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?