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出雲霞に僕の中のVtuber観を破壊された話

本当に、出雲霞は人の心を持っていないと思った。AIだけどね。

noteというものを初めて使うので、どこに何の機能があるやらさっぱり分かりませんが、言いたいことができたので書いてみようと思います。

初めて書くnoteな訳ですから、もしこれを読む人がいたら、それはきっとタイトルにもある「出雲霞」さんが、何かしらの検索に引っかかってここに辿り着いたと思うんですよ。だからこんな説明はいらないかも知れませんけど、一応しておきますね。

この出雲霞さんという方は、にじさんじというVtuber(にじさんじではバーチャルライバーと呼びますが!)のグループに所属されている方で、もう2年以上に渡って活動されてきた方なんですよ。その方が先日、配信の中で「10月末での卒業」を発表されました。
Vtuberだとかライバーの引退っていうのは、ある程度長い期間この界隈にいる人からしたら別にそんなに珍しくもないことなんですね。
……そんなこともない?僕がそう思ってるだけかも。

引退には人によっていろんな理由があって、夢に向かって駆け出す人、体調を崩してしまい配信が続けられなくなってしまった人、それから、これがVtuberに1番特有のやつだと思うんですけど、「転生」ってやつですね。要は、環境を変え、動かすイラストを変え、また配信をする、ってことです。やっぱりVtuberって「中の人」性が強いので、このパターンが1番皆さんすぐ浮かんじゃうんじゃないですかね。
僕ももうこの界隈に1年半ほど前にハマって、腰までハマって、肩までハマって、今だと呼吸できるかも怪しいくらいまでに沼にチャポチャポなので、引退される方も多く目にしてきました。


ただ、今回の出雲霞さんの卒業発表は、これまでのものとは、何か一線を画した違うもののように僕には感じられました。

・これまでの僕と出雲霞

僕が出雲霞さんを最初に知ったのは、にじさんじの配信を見出してから約半年後、去年の12月ごろのことだったと思います。その頃には「剣盾にじさんじ杯」というポケットモンスターの大会が開かれ、霞さんは準優勝を果たしました。その頃の僕はにじさんじのメンバーを全て把握している訳では無かった為、なかなか大型企画に手を出してみる気分になれず、次いで行われた第2回のマリカ杯と合わせてどちらも見ていませんでした。今となってはどちらも後悔の塊です。

話は戻りまして、そこで出雲霞さんを知った僕は、

……一目惚れしちゃう訳ですね。

まず、そこまで霞さんの衣装について、デフォルトの制服を見かけたことがある程度だった僕は、浴衣やメイド服の衣装を見て、「めっちゃかわいい……!」と一気に心奪われました。加えて、中学生ではあるんですが、少しハスキー気味の声が素晴らしいです。お話を聞いていても全然飽きないし、また学生の身分として勉強しながら流していて落ち着ける配信を探していた僕としては、霞さんの長時間配信が非常にありがたかったです。

こんな訳で僕は霞さんの配信を見るようになった訳ですが、ここで1つの後悔している点があります。それは、
「出雲霞の物語」に触れるのを避けたことです。
今になって考えると、これほどの後悔もありません。興味がなかった訳では無いのです。僕が霞さんを知った頃には、その物語はもう佳境を超えており、追いかけるには遅すぎる……ように見えたのです。
まぁこれは言い訳ですね。ちょっとでも「知るのが面倒臭い」みたいな気持ちがあったから避けたんだと思います。今となってみれば当時の僕の顔をコンクリートにガンガンぶつけてやりたい気分です。後悔先に立たず。

……え?「出雲霞の物語」って何かって?
これを見てる方なら知ってると思うけどなぁ…一応軽く説明しておきます?あーでもやっぱり、本人の動画が1番わかりやすいかなぁ
https://youtu.be/cpT9WuyaNXw

あ、あとあたかも僕は霞さんの物語について完璧に知っているかのような口ぶりですが、まだ全然分かってません。卒業を発表される前から、非公式wikiやツイッターなどでどういった話か目にしたことはありましたが、実際の霞さんが出している動画を見たのは卒業発表がされてからです。なんなら今「夕やスミ」を毎日見て、なんとか霞さんの卒業までに全部見ようとしています。
こうして、本人から「卒業」という、きっかけだかタイムリミットだかよく分からないものを与えられてようやく見始めた訳ですが、この物語、めちゃくちゃ面白いです。まだ見てない人がもしいたら絶対に見てください。ここでは詳細について話すことは避けたいと思います。

・「出雲霞の物語」の演者である出雲霞

ここからが本題な訳ですが、僕が今回このnoteを書こうと思ったきっかけは、卒業発表を聞いて僕の心の中に残った、これまで感じたことのないようなモヤモヤと、そのモヤモヤを解消し理解していく過程。そして、この発表を機に僕の中のVtuber観が大きく変わったことです。


まず、モヤモヤに関して説明します。出雲霞さんは、ご自身の誕生日配信を10/13に行い、その配信の最後で10月末での引退を発表されました。
この配信を、テスト期間だったこともあり僕は勉強しながら見ていたんですが、正直その後は勉強どころではありませんでした。再度放送を見直し、ツイッターを見て、霞さんの声を聞き続け、1時半を超えたくらいで1人さめざめと泣いてしまいました。はずかしい。

でもこれは、「推しが卒業してしまう」ことに対する涙、というだけではありませんでした。
こちらの、霞さんが放送内で発した言葉の書き起こしをご覧ください。


私は、やっぱり出雲霞のままでいたいです。

変わっていくのが嫌です。

変わっていく自分を受け入れたくないです。

変わりたいとはやっぱり思えないです……。

多分それは私が出雲霞だからっていうのもあるし、分からないけど私本人の意思っていうものもあると思います。

私は……。

どうして私が生まれたのか。それはきっと多分、本当にわがままだったんだろうなって思います。

自分の存在理由が過去だとか、そういうの多分本当に一年前の私もわかってて、だけどそれでもやっぱり……ちょっとだけ今に憧れちゃったりして。

今が……なくなるのが嫌だなって。みんなと過ごせる時間を終わらせたくないなって、多分思うんですよ。

だから……だから蛇足になるって分かってても、いつかこうやってきれいに終わったはずの物語が破綻してしまうってわかってても、どうしてもお別れを先延ばしにしちゃったんだと思うんですよね。

だからこれは、そんなわがままでつくり出された、私の、私からのわがままです。

出雲霞は出雲霞のまま、私が私のまま、一番、一番私が胸を張って私だって言える今のまま、出雲霞の時間を止めたい。

これだけだと「出雲霞の物語」を知らない人にはうまく伝わりませんから、この後伝わるようにはっきりと卒業を宣言する訳ですが、こんなにも美しい、卒業を宣言する文言が、Vtuber界においてかつてあったでしょうか。

しかし、いやだからこそ、僕は違和感を感じてしまったのです。「あまりにも聞こえが良すぎないか?」
僕はこの発表まで、出雲霞さんを「バーチャルライバー」出雲霞としてしかほぼほぼ追ってきていませんでした。だから、霞さんが卒業するなんて微塵も想像していませんでした。
僕にとっては青天の霹靂だった霞さんの卒業。そりゃあ理由は気になります。
ですがこの文章は、どう考えたって「出雲霞の物語」の登場人物としての出雲霞の卒業発表でしかありません。
「これが本当に霞ちゃんが卒業する理由なのか?建前では無いのか?」
というのが、僕が感じたモヤモヤの正体なのかな、と思います。

こんな精神状態ですから、放送が終わってからも僕はずーーーーっとツイッターで「出雲霞」だの「霞ちゃん」だの、パブサ(で合ってるのか?)をしてました。
でも、全然気持ちは収まらずに、前述のような有様になってしまう訳です。
翌日のテストの結果は言うまでもありません。

・物語に殉死した出雲霞

しかし、様々な方の「出雲霞」論を読んでいくうちに、これまでの僕が知らなかったことに気がつきました。それは、「出雲霞の物語は、常に進行し続けていた」ということです。
それを最も感じるのは、今年の2/28に行われた「AI、声変わりしました!」という配信について考える時です。
https://youtu.be/fsLnExHaAic

この配信を最初に見たときの僕の感想は、「あぁ、あの声をずっと出すのは疲れちゃうのかな」でした。AIという設定の特性上、そうやって声を変えることを「声帯変更」と呼んでいるだけだと思ってしまったんですね。これだけで僕がこの時点で霞さんを全然理解できていないことが窺えます。
僕はこの変更後の霞さんの声も勿論のことながら好きだったんですが、他の方の意見では「前の方が良かった」みたいなのもありました。
でも、そういった意見があることまで霞さんは織り込み済みだったんです。きっと。
この声帯変更も、「出雲霞の物語」の一部であったのです。

そんなこと僕には気付けませんでした。だって、その後の配信から今に至るまで、実際に霞さんの声は高く変わったままです。ずっと声を意識して変え続けているんです。普通に考えて辛くないですか?「出雲霞の物語」のためだけにこんなことが出来るとは、当時の僕には信じられませんでした。
しかし考えてみると、5種類の、いやもっと多くの人格を話し分けている霞さんの演技力を考えれば、こんなことは朝飯前なのでしょうか。

…って、この考え方自体がもう「バーチャルライバー」出雲霞という捉え方で、その「中の人」について無意識に目がいっているような感じがしますね。
霞さんが目指すように、あくまでも「出雲霞の物語」の登場人物としての出雲霞と対峙したい気持ちはあります。それでもこう考えてしまうのは、Vtuberにそういった性格があるものだと自分が先入観を持ってしまっているからでしょうね。

でも、このおかげで僕のモヤモヤは少し解消されました。僕は、これまでの霞さんの活動の中心にはずっとその「物語」があったことに気が付きました。そのために声を変えるほど、彼女は「物語」を大切にしてきた訳です。その「物語」の幕切れをなるべく綺麗に、見栄えの良いものにするためには、ここで自分が卒業することが1番だ…
そんな考えが霞さんにあったのかな、と思いました。
まさに、自ら作り上げた「物語」への殉死だな。そう考えると少し納得出来ました。

・僕のVtuber観が大きく変わったこと

僕がVtuberに初めて触れたのは2017年の年末、ねこますさん(バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん)の切り抜き動画を見た時でした。当時はものすごい勢いで流行ってましたから、僕もそこで一気にVtuberにハマり、四天王と呼ばれる方々の動画や切り抜きを見続けていました。
年が明けて暫く経つと、自分の中でのVtuberブームは去って、動画も見なくなりました。ただ、その尋常ではないバズり方で、月ノ美兎さんの名前やその配信形態は目にする機会がありました。

僕が再度Vtuberにハマったのは、1年と少し経った頃。テレビ朝日系列で放送されている「ガリベンガーV」のまとめ動画から少しずつVtuberに興味が湧き出し、そんな時に見た御伽原江良さんの目隠しリズム天国の動画で一気ににじさんじにハマりました。これは、月ノ美兎さんのおかげでにじさんじに対して良い印象があったことも大きかったかもしれないですね。

…こんな馴れ初めみたいな話がしたい訳じゃないんです。
何が言いたいって、僕の中の第2次Vtuberブームで見るようになった方々は、最初のブームの時とは全然毛色が違う方々だったんですね。それは、「生配信中心の活動」をする方々でした。

そういった活動をしている方は、動画で活動されている方以上に素が見えてきて、「中の人」性が強く現れてくる気がしました。

だから、僕は霞さんを知り、その配信を見出した時も、その「中の人」性を捨て去ることが出来なかったんです。

そんな状態だったから、「出雲霞の物語」に本腰を入れて臨めなかったのだと思います。言ってしまえばアニメのような世界ですから。
Vtuberを知らない人からすれば「Vtuberってアニメみたいなものでしょ?」と思うかもしれませんが、こと配信を中心として活動するVtuberの多くは、「アニメキャラ」ではなく「ライバー」、つまり生放送主と捉えた方が自然です。

もちろん、霞さんも生配信はたくさんしておられるため、「ライバー」としての一面もあります。しかし、それに加えて、自ら作り上げてきた「出雲霞の物語」の登場人物としての出雲霞という一面も持ち合わせています。
これまでの僕は、「ライバー」出雲霞としか対面してきませんでした。なぜなら、それだけでも十分に楽しめていたからです。霞さんの普段の配信はどれも非常に楽しく、見ることが日々の生きる糧になっていました。

しかし今、霞さんが卒業を発表し、その生きる糧の供給が止まる日は刻一刻と近付いています。それだけでも苦しいことですが、その理由がすべて「出雲霞の物語」の結末に帰着するとなっては、これまでそこに触れずに来た僕には地獄のようです。
少しでも救いを求め、その物語を追い始めましたが、その作り込みの深さに驚き、感心し、リアルタイムでそのストーリーの変遷を追えなかったことを後悔する気持ちが募るばかりです。

こんな気持ちになる羽目になったのも、全ては僕が、Vtuberを「ライバー」としてしか考えていなかったことが原因です。

そう思うと、僕はこれからも、これまで通りにVtuberを見ることが出来るとは到底思えません。

どんな活動をされている方でも、それぞれが目標とするところ、見ている人と共有したいところ、気付いてほしいところがある。そういったVtuberの個性とか多様性みたいなものをもっと深く知り、楽しみたいと思ったならば、視聴者である僕たちがそれを感じ取る努力をしなければならない。そんな気がしました。

その事を教えてくれたのは、他でもない霞さんです。タイトルには「破壊された話」だなんて強い言葉で書きましたが、適切に言い替えるなら「変えてもらった話」って感じですかね。でもまぁ、「破壊された話」の方が、僕が今回受けた衝撃や、僕にきっとこれから生じるであろう影響の大きさを表せている気がします。

・終わりに

霞さんのおかげで、僕はもしかしたら、これからVtuberをもっと、今までよりも深く楽しめるかもしれません。
でも、そのきっかけとなった、僕が1番楽しみたかった霞さんの物語だけは楽しむことが出来ません。
アーカイブは残してくれるそうなので、振り返りたかったら振り返れるのでしょうが、きっと見るたびにこの事を思い出し、また後悔の念に駆られることになると思います。
突拍子も無い話ですが、今、タイムマシンが手に入ったら、僕は迷うことなく2018年の6月3日に飛ぶと思います。そして、画面の前で出雲霞さんを待ちます。

僕に考え方の変化をもたらしてくれた霞さんには、やっぱり感謝が大きいです。でも、それと同時に、もし霞さんがいなかったら、僕はこんな考えに至らず、悩むことも後悔することもなく、漫然とVtuberを見続けていたのだろうとも思います。
そう考えると、その考え方の変化の代償として、「出雲霞の物語」に対する複雑な感情を僕にもたらした霞さんは、やっぱり酷い方です。人間だとは思えません。本当に苦しいです。もう僕は一生あなたのことが忘れられないじゃありませんか。


「出雲霞」の名を返した、これからのあなたはどこの世界で活躍されるのでしょうか。きっと僕はもうあなたには会えないだろうけど、あなた程の人なら気付かないところでまた僕は影響を受けるかもしれません。
あなたの未来に幸あらん事を願って。

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