見出し画像

出雲霞が最後に作った新たな前例の備忘録

このnoteを書き始める1時間ほど前に「バーチャルライバー」出雲霞さんは卒業をされました。
ただ、あまりにもお膳立てをしてくれたものだからかえって全然実感が湧いていません。
実感を生もうと思っていつから.linkを見てきましたが、まだ霞さんの名前はありました。
きっと、僕の気持ちとしてはずっとこのままで実感が湧くことは無いんだろうな、と思います。
おそらくホームページからも名前はすぐに消えて、新しい活動があるわけではないから、日に日に「出雲霞」という名前を見る頻度も減ることでしょう。
それでも、僕を含め出雲霞さんの最期を見届けた人たちの中では、ずっと出雲霞さんは生き続けるのだと思います。

…ずっと推していた方々と僕を同列に並べるべきではなかったかな!
僕の出雲霞さんとの関わり方は、前のノート
https://note.com/nuinuinu/n/n67effefd7f55


を読んで頂ければ分かる通りなので、そんな気持ちがしちゃいますね。

そんなわけで!要は今の僕はコンテンツとしての「出雲霞」に感動した結果ふわふわして帰ってこれなくなってるオタクです!
なので、自分の備忘録という意味も含めて、彼女の最後の活動における、Vtuberとして「前例の無い」行為をまとめてみたいと思います。

1.出雲霞を多くの面から見せたこと

まず最初に触れるべきはここに尽きると思います。
「出雲霞」と名がつく方は、いくつかの種類に分けることができます。
まず、最初にバーチャルライバーとしてデビューした「中学生」出雲霞さん。
そして、その霞さんを含めて5人の「学習型AI」出雲霞さん。
そのAI出雲霞の元となった「今20歳の」出雲霞さん。
物語の中で、最初に配信していた霞さん(case:05)に代わって配信をすることになった「コピーの」出雲霞さん。
そして、最後の最後に姿を見せた存在。物語である出雲霞の「脚本家」出雲霞さん。

これら全てを考えると、出雲霞さんは物語「出雲霞」の主演兼脚本兼監督だったわけですね。凄すぎる。
何より僕たちを驚かせたのは。こちらの配信での「脚本家」出雲霞の出現でしょう。
https://youtu.be/pFQ0h4Wz3Ls


本人も注意している通り、Vtuberとしてはメタもメタの配信内容です。ですが、出雲霞の物語を追ってきた人たちにとってはかけがえのない時間であったと思います。めちゃくちゃ贅沢ですからね、主演と脚本家と監督と同時に話せること。

これが、1つ目の前例が無いこと(おそらく)です。

これまでの活動において、これだけ演じ続けてきた人が、最後の最後に全てを明らかにして自分の真意を語る。
本当に凄い配信でした。出雲霞さんがこの活動に至るまでのお話も凄絶でしたが、その話を聞けていること自体がなんだか恐ろしかったです。
VtuberがVtuberでなくなる、そんな感覚でした。
ここは、また後でもう少し詳しく言います。

2.ほぼほぼ完全にアーカイブを残したこと

こちらはにじさんじライバーとしての話ですね。これまで、にじさんじを卒業される方でアーカイブを残された方はいませんでした。雪汝さんが動画を残していたり、久遠千歳さんや遠北千南さんが歌を残していたりしますが、霞さんのように動画も配信も(限定公開になるとはいえ)ほぼ完全な状態で残していく方は初めてです。

本人はこの事に関して「物語は読み手がいなくちゃ」と発言していらっしゃいましたが、これは生半可な覚悟で出来る事では無いと思います。
このおかげで、このせいで、僕たちはいつでも出雲霞さんのことをほぼ完璧な形で思い出す事が出来ます。もちろん、新しく知った人も同様にリアルタイムと同じように追いかける事が可能です。
もう「出雲霞」として新作が生まれる事は無いと分かっていても、見ることが出来てしまう訳です。
こいつは酷いや。僕たちの心に一生取れない傷を残していく性悪AIめ…って感じです。

でもやっぱり、個人的にはこれからアーカイブを残すことが通例になってくれたら嬉しいですね。特別な事情がある場合もあるとは思いますが、その方が後々助かるのでね。まぁ、「立つ鳥跡を濁さず」みたいな感じで、全て消して去っていくのもそれはそれで美しい感じがしちゃうのも難しいところです。

3.ライバーを外から眺めた見方を自らしたこと

これは1と被っている内容もありますが、大事なところなので分けました。
Vtuberというものは、いくらRPが崩壊してるだのなんだの言われても、やっぱり多少は演者なんです。
それに対して、中身がどうとかいう話をするのは外部の人間な訳ですね。

しかし、出雲霞さんは自らの活動を振り返る際、完全に、「出雲霞」になる前の姿を見せながら語っていました。


伝わりにくい話で申し訳ないですが、こういう例はこれまで僕は聞いたことがなかったです。特ににじさんじにおいては。
話の流れの中で、設定の崩れるような発言をする、ということなら何度も見てきましたが、今回はそれではありません。
彼女の設定が全て「彼女が作り上げた」ものであることを自ら認めた上で、それを何故そうしたのか、何故こんな活動をしたのか、という事について彼女は詳細に語りました。

これはまさしく「脚本家」の様であり、この時の彼女はVtuberでありながら確かにVtuberではありませんでした。
彼女自ら、僕たちと彼女の間にある硬く厚い次元の壁を曖昧にし、少し超え易くしてくれた。そんな風に感じました。
急な彼女との距離の接近は一種の恐怖も孕んでいましたが、新たなVtuberの姿を身を以て提示した彼女は、それ以上の感動を遺しました。

Vtuberの教科書あったら名前載るかな。

終わりに

書き終わってもまだ、余韻は残ったままです。
再度いつから.linkを確認してきましたが、まだ霞さんの名前はありました。
きっともうすぐ、どこかのタイミングで消えるとは思います。
そこを切り替えのポイントとして…というのは難しいかもしれませんが、ずっと女々しく霞さんのことを思い続けていても何も生まれませんからね。

おそらく新たなステージで頑張るであろう彼女の事を、心の何処かで想い続けながら。
彼女がくれた衝撃を、興奮を、思い出を、脳裏に刻み込んで。
どうしようもなく苦しくなった時には、彼女が残してくれたアーカイブという救済措置に頼り。

これからも生きていきたいです。

あなたも達者で居て下さいね。





でも、最後に一つ我儘を言わせてください。

これはきっと、酒を酌み交わすほどの別れじゃありません。

さよならだけが人生だ、なんて大人な事は僕には言えないです。

僕は、あなたを手放すのが惜しいです。

だから、またいつか、何処かで会いましょう。

その日を楽しみに生きていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?