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大事なことはすべてこどもが教えてくれる。

我が子の体育祭でした。

開会式・閉会式・・・何度「このコロナ禍で」という言葉を聞いたでしょうか。2年ぶりの体育祭。

みんなマスク焼けをしています。顔がツートンカラーになってしまいました。見たことのない日焼けです。そうか。去年は学校そのものが閉校になり、外にも出なかったのです。

同じような状況なのだけど、今年は開催。感染症対策もだいぶ手慣れた物になっていますね。おとなもこどもも。

親が学校にいく機会もがくんと減り、ひさしぶりに我が子が友達と物事をする姿を見ることが出来ました。


あ。

気づいた。

毎年開催されていたときは、あまりわかっていなかったかも。

見ていたけど、そう意識したことがなかったかも。


我が子がいろいろな人と関わっているところを見る。

その時の友達の表情も見る。


中学生ともなると、こどもは社会と家庭で顔を変えます。そして社会での顔を家族には決して見せたがらない。

その顔を垣間見るために行く。

学校全体、生徒全体の中の我が子を俯瞰して見る。


我が子が赤ちゃんの頃から、わたしは「育児」はすべて、我が子から教わってきました。どうしたらいい、どうしたらいい、どうしてほしい?わたしはあなたにこうしたいのだけど、してもいい?いや?でもしたいからしちゃうよ♪ あ、やっぱりいやだった?じゃあやめようか。ああ、こっちの方がいいのか。わかったわかった。そうか。え?もうこれじゃなくなったの?じゃ、今度はなに?わからないよ。えーん。ごめんごめん、ママが泣いても仕方ないよね。でもちょっと一緒に泣いてくれないかな。ありがとう・・・じゃあ、お散歩でもいこうか。あ、いやなんだ・・もうもうもう・・・あ、こっちか。そうかあ・・・

こうやって、すべてこどもが教えてくれました。

それは幼稚園でも小学校でも同じ。

中学生はどうなのかな。もう言葉できちんと伝えられるかな。と思っていました。何かあったら言葉で言ってくるだろうと。


ちがった。肝心なことは話さなくなるのでした・・・。まあなんとかやっているのだろうと推測するしかないわけです。


そして、今日。

我が子は、家では見せないような、真剣な面持ちと、友達を応援する姿、ハイタッチする姿を見せてくれました。


そしてもう一人。我が子同然の子もしっかりと目に収めました。不登校になるんじゃないか、というような事件が起きるたびに、勇敢に次の一歩を踏み出せるように背中を押したりさすったり、一緒に考えたりしてきました。

もう、キラキラでした。一人で泣きながら悶々としていた暗い姿は、そこにはありませんでした。

このすてきな顔からも教えてもらいました。

学校へ通う意味。


人と出会い一緒に何かをすることが「人間の条件」。BYハンナ・アレント。(あくまでも森の解釈その1)


学校は、なかなか自分の足であちこちは行けないこどもたちが、その機会を得られる場所。

だから、「行きたくなかったら行かなくていい」のではなく、「行けなくなってもあきらめずに行ける場所を探そう」が正解なのだと確信しました。

家で一人で動画を見ながら学ぶのと、みんなで一緒に学ぶのは、意味が全く違います。

みんなで学ぶことの本質は

「思考回路は人の数だけあることを知る」

「理解するというのは、人によって速度が違う」

「自分の発する言葉がどれくらい人に届くのかを知り、試行錯誤する」

それを学ぶために、学校でみんなで勉強するのです。

それを断ってしまうと、クリスマス・キャロルのスクルージになってしまう可能性が出てくるのですよ。


たった数時間の体育祭から、たくさん教えてもらいました。

こどもってすごい。


ところでね。

高校生の息子が今定期テストの準備期間なんです。コロナ禍で授業は、短い時間で矢のように進む。ついてこれるのだけついてこーい!という感じです。

そこで息子達がやったこと。お互いに先生になって教え合った。2回も説明すると、自然に理解して頭に入ってくるそう。暗記とかしなくても、わかってくる。こうやってものすごい量のテスト範囲をクリアしたそうです。

思えばわたしも、洋裁は、5年間繰り返して教えていたから、わかってきた。学生の授業だけではできるようにはならなかった。洋裁で一番大事なのは、どういう失敗が発生するのか、ということをたくさん自分の内側に積んでいくこと。学生さんのミスを自分のミスとし、自分の経験値としてありがたくいただく。生徒さんの「えっと・・わからないです」が最高の先生となってくれていた。それが積み重なって、自分のスタイルの洋裁ができあがります。これはすべてのことにおいて同じ事がいえます。

このやり方、授業の参考にならないでしょうか。一つのモデルケースとして。もうやっているところはあるのかもしれません。先生は、生徒達の思考が滞ったり偏ったりしていくのを補正するだけでいい。中には先生をぎゃふんと言わせるような解説を展開する子もいるにちがいない。先生も生徒から学ぶんです。教えるだけよりも、先生の成長はぐんとアップしますよね。そして何より、生徒も先生もものすごく面白いと思います。どうでしょう???

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