この時期~国家を歌う~
70年代生まれのわたしは、20歳すぎるまで国家を歌うのがいやだった。
なぜだろう。
ここのところ、国家を歌うのが大丈夫になった。
いい歌詞だなとまで思う。
なぜだろう。
どこで
だれが、
わたしの気持ちを操作しているのか。
非常に気持ちが悪い。
この時期、いつもそういう思いに囚われる。
確かにあのとき、
心の底から国家に命をささげると思っていた人がいるのだ。
あの日を境に、
「それは違う」
となった。
それはどれくらいの衝撃か。
何も疑問に思わない、ということが一番怖い。
戦後。
どういう教育があったのか。
「国家」という言葉に不思議なにおいを感じる国民性があるのは
間違いない。
戦争をその目で見た人にとっては
国家がどうのこうのよりも
目の前の兵隊さんが15,6歳でにっこり笑って特攻隊として
消えて行ったという事実が強烈に残っている。
その人たちのおかげで今生きているのだ、と。
そこの思いに国家は存在していない。
国家と人の心は
乖離しているものなのか。
としたら、戦争がなくなるわけがない。
なぜ国家を歌う、歌わないなどという
考え方の変遷があったのか。
我ながら、我を知りたい。
素直に喜べない自分がいる。
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