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『忘れない』と『アンダーグラウンド』

首都大学東京の渡辺英徳研究室と岩手日報社が、4年前から『忘れない~震災犠牲者の行動記録』(http://iwate.mapping.jp/index_jp.html)という東日本大震災の岩手県の犠牲者の行動記録を公開していることは、どれくらい知られているのだろう。

2011年3月11日、午後2時46分「地震発生時にいた場所」から「津波の襲来時にいた場所」を線で結び、その方々がどのような動きをしたのかを被災地の地図上にマッピングして、実に1326人(男性は青・女性は赤)もの方々の、あの日あの時の動きを見ることが出来る。

地図上の青と赤の「点」が地震発生と共に軌跡=「線」を引きながら動き出す。速い動きで伸びていく「線」は自動車による移動、ゆっくりと動く「線」は徒歩、動かない「点」(多くは高齢者で自宅にいた)もある。やむを得ない事情があったのだろう、海に向かっている「線」も見られる。

687人の方については、ご遺族の了解を得た上で氏名・年齢と当時の行動(推測を含む)も示されている。「点」の上にマウスを合わせると、当時何をしていて、どんな理由で動いたか、あるいはその場にとどまったかを記した小さなウィンドウが開く。2~3行の情報。会ったこともない、顔も知らない方々の最後の情報を一つ一つ見ていく。それぞれに事情があり、判断があった。巨大な水の流れに遭遇したとき、どんな思いでおられたのかを想像してみる。

『忘れない』というタイトルに込められた制作者の思いも伝わってくる。復興、どころか復旧も途上という場所も多い中、この記録はもっと多くの人に見られていいと思う。

25年前の3月に起きた悲劇「地下鉄サリン事件」についても、多くの被害者に会って話を聞いた記録があった。村上春樹さんがリサーチャーたちと共にまとめた『アンダーグラウンド』だ。13人死亡、約6300人が負傷した世界でも類を見ない毒ガステロだったが、被害者の60人以上に丹念にインタビューし、事件の「その時」と「その後」を浮かび上がらせていた。

いわゆるメディアスクラムの問題もあって、当時被害者の方々への取材は困難を極めた。しかし事件後数ヶ月、多くのメディアの取材の波が引いていく中で『アンダーグラウンド』のチームは丹念に証言を掘り起こしていった。

大きな災害・事件が起きるたび、大規模かつ集中的な報道が繰り広げられるが、それから数年、数十年、あるいはもっと長い時を経た後、悲劇に遭遇した人々がどんな状況に置かれ、どんな思いをしていたのかを細かく調査し、後の世に残している記録はそんなに多くない。

『アンダーグラウンド』は分厚い書籍だった。およそ20年後に作られた『忘れない』は技術の恩恵でネット上の動画として見られる。この二つの記録からは、「その時」に遭遇した人々の息づかいを感じることが出来る。もし自分がそこにいたら…」そう考えることが出来るという意味でも、丹念に証言が収集され、適切に残された記録の大切さを痛感する。

そして今、新型伝染病に世界が覆われて見通しのきかない3月、「忘れない」という言葉が重みを増している気がする。

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