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マダム・タイフーン(台風夫人)

予想天気図に、次から次へと台風が表示される晩夏だった。被害を受けた地域の皆様には改めてお見舞いを申し上げる。
列島をひっかきまわし暴れ回る台風は脅威だが、人間にも嵐を呼ぶ…というか嵐そのもののようなヒトがいる。私の身近にもそんな女性が存在しており、私はひそかに彼女のことをマダム・タイフーン、台風夫人と呼んでいる。

台風が予想天気図で目立つ存在であるのと同じく、台風夫人の容貌もパッと目を引く。私よりもずっと年上である彼女はとにかく華やか、夏は白地にカナリアイエローの大きな花が咲いたワンピース、冬はホットピンクやコバルトブルーのコートを着こなす。グレイヘアにひとすじだけ、その季節に合わせたカラー。黒、グレー、ベージュの装いで埋まりがちな待ち合わせ場所では目立っているので、すぐ見つかり便利だ。

台風夫人は人への影響が大きい。初めて訪れたレストランや小料理屋、ホテルでオーナーシェフ、女将、或いは支配人に自分の名刺を差し出しながら呼びかける。
「なんてお名前なの?ヤマザキ(仮名)さんか、じゃあヤマちゃんね。私はタイフーン(勿論仮名)。タイちゃんて覚えてね」
いきなりの距離の詰め方に相手が面食らっている間に、どんどん用事を言いつける。アレやってくれソレがいい、コレはないか。コンなのが食べたい。相手は翻弄され、きりきり舞いさせられる。満たされた台風夫人は「楽しかったわ、また来るわね」という言葉を残して去り、後に残された方は「なんだったんだ今のは…」と呆気に取られるのだった。まさに嵐が過ぎた後のよう。
彼女は言葉通り、本当にまた来る。なんなら来店を月イチの習慣にする。そして同じようにアレコレソレと求め、現場を好き放題に搔きまわすのだった。

それでお店や宿で嫌がられるのかというと、観察している限り必ずしもそうとは言えないようだ。台風夫人自身が常連客になるだけでなく、彼女には自分が気に入ったら猛烈に他人にお薦めする癖がある。
私はお薦めされた側の人間なのだが
「この前ね、いいお店見つけたのよ。来週空いてる?」
「来週ですか。どうですかね、週の後半なら…」と言いかけた時には、もう電話をかけている。「もしもし、ヤマちゃん?私。タイちゃんよ。来週の金曜日に2人で予約するわね」

話を聞け。聞いてくれ。しかし、電話の向こうのヤマちゃんにも私にも、有無を言わさず予約を入れ、引っ張ってゆくのだ。こんな調子で次々とご新規さんを紹介し、彼女が気にいる店や宿は大抵間違いがない良さなので、そのご新規さんが新たな常連となり、また他のお客を連れてくる。
私もそのような経緯で常連となった店がいくつかあり、そこで台風夫人が話題にのぼると皆、口を揃えて
「いやあ、あの方にはかないませんわ。しかしほんまに、ありがたいと思うてるんです」
と笑うのだ。私が夫人の知り合いだからという気遣いはあるだろうが、その言葉の響きには社交辞令だけではないものを感じる。


台風夫人は腹に何かを溜めておくということができない。唸りを上げる風の如く或いは叩きつける雨の如く、言葉がほとばしる。それは時に相手を怒らせるものであり、私は怒った人から「あんな言い方はないと思うのよ」と話を聞くことたびたびだ。私自身、よく強烈な言葉を彼女から浴びるのだが、不思議と腹が立たない。オブラートというものの存在を知らぬかのように、率直そのもの。無為自然。痛いところを突くが意図して抉ろうとしてこない。あなたの為を思って、など紋切り型の恩着せがましさもない。色々言われて振り返れば、台風一過のからりとした空を見上げるような気分を味わうことすらある。なんだろうなこれは、と首を捻っていたのだが。


あるとき、私と台風夫人共通の友人ふたりが仲違いをした後に冷戦状態に陥り、何年も口を利かぬという関係になってしまった。そしてつい最近、周囲のとりなしにより関係を修復し、かつてのように一緒に食事をするまでになったのだ。その様子を隣のテーブルで見て「よかったですよね」とそっと囁きながら同席した夫人を見ると、なんと泣いているではないか。
「よかった…本当によかったわ。大人になるとね、仲直りなんて簡単にできないものでしょ。あっという間に離れてしまうもの。そして年を取ると、友達はどんどんいなくなる。ただでさえ減っていく友達を喧嘩で失うなんて、こんなもったいないことはないのよ」
ハンカチを目に押し当てながらそう言う彼女を見て、普段からこの人の直球すぎる言葉を受けたり振り回されたりしても、怒りがわかない理由がわかった気がした。
夫人には意地悪なところがない。ものごとを斜めに見る癖を持たず自分にも他人にも正直で、その心はあたたかい。

台風は厄介な存在ではあるが、夏の暑さで乾き切った大地に水をもたらし、海の水を掻き混ぜて生態系を維持するという恵みももたらすそうな。
マダム・タイフーン、台風夫人の渦に巻き込まれる時、私は自分の人生がどこか潤ってゆくのを感じるのである。



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