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暮れの葬儀と固い握手と

義父の静かな旅立ち

2023年の暮れに義父を看取った。突然倒れてから一ヶ月余りで逝ってしまったのだが、医療・介護従事者の皆様のおかげで全く苦しまず、基本スヤスヤと心地よさげに眠っており、目を覚ましたら妻か子がいて言葉を交わす……声が出にくくなってからは筆談をするという日々だった。最期の瞬間は妻、子、孫に見守られて、より深い眠りにすーっと沈むように彼岸に去った。

すう、はあ、という静かな呼吸の間隔がだんだん遠くなり、すう…の後に音がしなくなって、皆であれっ?と枕元に更に近寄り看取ったのだった。夫が思わず羨ましがるほど穏やかな臨終で、私も「お義父さん、お見事です…」と独り言が出た。

一転、タイトスケジュールにて走り出す

自宅以外の場所で人が亡くなった場合、悲しみに沈んでいる余裕は、遺族にはあまりない。施設の職員さんからそっと呼び出され、夕方までにこの部屋を退去せねばならないことを告げられる。ここを必要としている人は他にも大勢いるであろうことを考えると、それはそうだろうなと合点し、義父を囲んで涙ぐんでいる家族・親族に

「えー、皆さん。ここからのスケジュールはけっこう、いやかなりタイトになります」と説明した。

まず退去には、当然だが義父に移動してもらわねばならない。遺体の搬送は葬儀社に頼むのが一般的であるが、なにしろ年の瀬である。義父が10年近く前から積立契約をしていた葬儀会社は年末の人手不足のゆえか、年明けまで通夜・葬儀は受けられないとのことだった。他の会社も電話をかけてみたが、葬儀場は既にいっぱいだという。電話の向こうのスタッフさんが

「年末年始はですね……けっこう亡くなる方が多いんですよ。寒いせいもあるかと思うんですが」

と教えてくれる。なるほどね、と頷いている余裕はない。義父がエンゼルケアを受けている間に、他の葬儀社いくつかに電話をかけ、なんとか対応してくれるところを見つけた。そちらのスタッフさんもお悔やみの言葉と共に、テキパキとやるべきことを教えてくれる。死亡診断書は1時間後には手元にくることを話すと、では急ぎ、火葬場を押さえます!という声が返って来た。火葬場は明後日で仕事納めであるという。

菩提寺のご住職にお電話し枕経・通夜・葬儀のご都合を伺ったあとは、空いてる会場の規模と時期を考慮して、ごく限られた身内のみの家族葬にしようとその場に集まった親族で決める。そこは完全に意見の一致を見てホッとしたのであった。

義父を迎えに来る車が決まったと連絡を受けて、退去ための各書類にサイン。私がそれらをやっている間は、息子娘が退去する部屋の荷物を片づけていた。義母が近隣の親族に電話、そこから更に遠方の親戚に訃報が伝えられたようだ。夫は自宅に戻り、義父を寝かせる場所と祭壇を設置する場所を確保する。臨終からここまで、3時間。

お迎えの車に義父を乗せる前に、施設の方々には心のこもったお別れの会をしていただいた。こちらで義父を見送れたこと、ずっと忘れずに感謝を捧げたい。

怒涛のごとく

義父が自宅に戻って来た。生前から使っていた布団の上に、葬儀社が用意した白いツヤツヤの布団を重ねる。そこに義父を横たえ、ドライアイスを設置し、その上からまた白いツヤツヤの掛け布団をかけた。
旅立ちの服装は義母が用意したものだ。義父がちょっと街に出かける時をイメージした、こざっぱりとした服に着替え、まだスヤスヤと眠っているかのようだ。

ここから、怒涛が襲ってきたがごとく更にタスクが積み重なる。

ご住職をお迎えして枕経。その後、葬儀社と打ち合わせ。夫は仕事に戻らねばならず、私が喪主代理で義母の意見を聞きながら進めていく。

「あんまり派手なのはねえ……」

義母の言葉に頷き葬儀の料金コースを選び、生花・果物籠等のお供えを親族の誰にお願いするか(決めたらすぐに電話)通夜食・お斎・初七日法要精進落としの料理の選択。

ここで、カタログを見ていた義母から意見が出る。

「あんまり寂しいのはねえ……」

わかりました、と頷いて祭壇の選び直しをする。これを皮切りに、様々なものがどんどんゴージャスに膨らみ始めた。義母の気持ちを汲みつつもセーブし進めるのに苦労する。が、棺を決める時のことである。

「桐の棺はないかね?」と義母。
「桐の…棺でございますか」と葬儀社さん。
「桐だったら、立派でいい木材やろ」

隣でメモ係を務めていた息子がペンを止めて言った。

「おばあちゃん、桐はまずいよ。桐の箪笥が重宝されたのは、湿気を通しにくいからだけじゃなくて、火に強くて火事にあっても中身が燃えにくいからだ。つまり、棺に使うとさ。……中身が燃えにくい」

これを聞いて一瞬の間があり、その場にいた全員がやや不謹慎にも笑い転げたのであった。そのおかげか、張り詰めた空気が緩み、義母もちょっと落ち着いて「あまり派手なのはねえ」という当初の軌道に戻った。

私たち夫婦の仕事関係には年が明けてから周知することにし、ご近所にも自治会において一番小さな組織である班、その班長さんにお伝えするに留めた。通常、町内で不幸があった際に出る至急回覧などは謹んでお断りし「故人の希望により弔問・ご香典の類は固くご辞退申し上げる」旨、くれぐれもとお話した。

話している間にもジャカスカかかってくる電話の対応。そうだ、家族の礼服を出しておかねば…などやっている内に深夜になってしまった。

ここから通夜葬儀初七日法要、すべて終わって参列客を見送り我が家に帰宅するまでの3日間、正直忙しすぎてところどころ記憶が飛んでいる。

朝陽の中の握手

暮れの葬儀であるというのに、そして広く知らせてはいないというのに、ご近所や私たち夫婦の仕事関係など、多くのご弔問をいただいた。大変ありがたく思いつつも、都度「どなたから聞かれたんだろうね……」と遺族席で囁いていたのだ。

重ねて言うが、ご多忙のなかご焼香いただき、とてもありがたく思っている。ただ、誰からお話がいったのだろう?というのは、小さなささくれのように、疲れた私の心を荒らしていた。

年が明けて、お寺のご住職に家族揃ってお礼に伺った朝のことである。
帰り道、お散歩中と思しきご近所の婦人が、私たちを認めて足を速め近づいてきた。そして、義母の手をガシッと取ると、目を潤ませて

「○○さんから聞いた。寂しなるね。でも、力を落とさんといてね」

力強く言うと、じゃあ!と私たちにも目礼し、また足早に立ち去ったのだ。

その後ろ姿は朝陽に照らされ、輝いていた。
ごく短く、簡潔に。かっこよかった。

あれからいまだに多忙な日々だが、極寒の暮れの葬儀に集ってくださった方々のお顔、そして朝陽の中で義母と固い握手を交わした婦人の言葉と後ろ姿を思い出し、そのたびに力をいただいて走り続けている。









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