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【光る君へ】ドラマレビュー第23回公開されました

クロワッサンオンライン 連載中、大河ドラマ「光る君へ」ドラマレビュー第23回公開されました!こちらからお読みいただけます↓

クロワッサンオンライン光る君へドラマレビュー第23回

ドラマレビューで日本の歴史上唯一、皇女から立太子し東宮となった46・48代孝謙・称徳天皇(718年生~770年没)について少し書きました。
この女帝は同じく ドラマレビュー第16回(記事はこちら)  内で触れた、悲田院を設立した光明子の娘です。
奈良・東大寺の大仏造立で有名な、45代聖武天皇(701年生~756年没)とその皇后・光明子の間に生まれ、阿倍皇女(内親王)と呼ばれました。

光明子は藤原氏で初めて皇后として立后した女性……というよりも、彼女までは皇后は原則、天皇の娘が立つものという慣例があったと思われます(16代仁徳天皇の最初の皇后・磐之媛命は皇族ではないが、ほぼ伝説の存在)それゆえに、これよりも前には天皇の異母姉妹が皇后となる例があります。聖徳太子が摂政として仕えた、33代推古天皇もその一人。異母兄である30代敏達天皇の皇后となり、夫の崩御後に即位しました(その間に聖徳太子の父・31代用明天皇と32代崇峻天皇)。異母とはいえ兄妹で結婚を?と現代の感覚では驚きますが、天皇の后……いずれは天皇の母となる女性の一族は強い力を持ちます。天皇の力を他の氏族に渡さないためという理由があったのでしょうか。

政治的に強い力を持つ藤原不比等の娘・光明子が、臣下の娘としては初めて立后し、そして彼女の娘である阿部内親王も皇女で初めて立太子、東宮となりました。聖武天皇には県犬養広刀自との間にもうけた安積親王という男子がいましたが、彼は阿部内親王の立太子の6年後に17歳という若さで急死しています。

当時の人々は、この光明子と阿部内親王というふたりの女性をどのような目で見ていたのでしょう。

阿部内親王は孝謙天皇として即位しましたが、生涯独身であったためにその子が次の天皇となることはありませんでした。しかし光明子が最初となった「藤原氏出身の后」と一族の影響は、その後長く続いてゆくのです。

『光る君へ』も、藤原だらけですよね。

(つづく)


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