好意を見せるひと、隠すひと
中学生の恋愛ってのは「隠す」ことが重要となってくる。
好きな人が出来ても周りに言わないのが基本。もし誰かにバレようものなら「情報交換」という闇取引によっていつの間にかクラスを超えて噂になる。そのスピードたるや。
ちなみに鵺野はいわゆる「情報屋」だったのでわりといろんな男子、女子の好きな人を掌握していた。一番敵に回したくないタイプだ。修学旅行の夜の暴露大会では無敵。
仮に無事付き合えたとしても油断してはならない。付き合っているのがクラスの連中にバレたら「今日あいつら一緒に帰るってよ!尾行しようぜ!」というハリウッドセレブもびっくりのパパラッチ集団に追い掛け回されることになる。かくいう俺もハリウッドセレブ側もパパラッチ側も経験している。
これって俺の中学だけじゃないよね?
本題に入る。
子供の頃はどちらかというと「恋心=隠すもの」っていうのがマジョリティーだったはずなのに、いつの間にか大人になるとむしろ「恋心=積極的に伝えるもの」っていう図式に変わってるっていうことに最近気付いたんすよ。
だいたい子供の頃は告白されて「えっ、こいつ俺のこと好きだったの!?」ってなることが多かったけど、大人になってからの恋愛ってそんなの基本ないじゃないすか。その前にすでになんか雰囲気があったり、そもそも「告白する」っていう行為自体が本来の意味で行われなくなってたり。
これってなんでなんすかね。そっちのほうが勝率がいいから?学校のクラスと違って囃し立てる人がいないから?単に恋愛経験が増えていって恥ずかしさが消えていくから?
鵺野は性経験はそこそこあるのだけれども恋愛経験が人並みかそれ以下なのでそのへん中学生で止まってるんすよ。好きな人が出来たとして、それを最初から伝えられる気がせん。だから「好き」っていう気持ちを本人に直接ぶつけられる気持ちが正直あんまりわかんなくて。うひぃ。
「価値観はひとそれぞれ」という傷つかないための予防線を今微妙なニュアンスで貼っておきます。
鵺野は好意はギリギリまで相手に見せない方が結果的にうまくいくことが多いと思ってるんですよね。見せないというか、素振りは見せるけど核心的なことは言わないみたいな。
「こいつ俺のこと好きだな」
より
「こいつもしかしたら俺のこと好きなんじゃね?」
の方が多分男は落ちやすい気がする。なんなら女性もそういう人の方が多いんじゃないかなぁ。
そういう女子はまあ嫌いでも好きでもない。
そんな彼女が、
よく会話の途中で横道に曲がりがち。
曲がってるのは性根とチンコだけにしとけってな。
はい。
何にしても、善意好意に対価を求めてしまうと辛くなりますよね。いわゆる推し活がQOL上がるってのはそこに対価への期待が無いからだと思うんだ。もちろん人によるとは思うが。
別に好きな人、アーティスト、キャラクター、作品にお布施したところで多くの場合その対象が自分に対して何かをしてくれたりっていうのはないじゃない。「推し」を持つ多くの人は自分が好きなものに対してこれだけの時間やお金を費やしてる!っていう自己満足で幸福感を得てると思うワケよ。
それって究極の幸せじゃないですか?
でも人間は欲深い生き物だから、人に何かを与えたときにどうしてもリターンを期待してしまうんですよね。人間が純粋なホモ・エコノミクスだったとき、多分恋愛なんてしないと思う。どう考えても好意の投資はリスクが高すぎる。
何の話してたんだっけ…あぁ、好意を伝える伝えないの話ね。
なんだかんだ言って、自分の好きに正直になれる人は好きですよ。ただこと恋愛に関して言えば正攻法がベストではない場合が多々あるじゃないですか。
打算的な女は嫌われますが、本当に打算的な女は打算的な女だなんて微塵も感じさせないものです。
恋愛にルールブックはありません。狡猾にやりましょう。
最後に一つ好きな恋愛の名言を一つ。
「恋愛論を得意げに語る奴に恋人はいない。」
ウーン………(オーバーキル)
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