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「天体観測」という文学



22年前の曲ってマジっすか。


そう、今日はBUMP OF CHICKEN最大のヒット曲である「天体観測」の話だ。俺はこの曲でBUMPにハマり、邦ロックにハマり、ギターにハマった。俺がこんなサブカルクソ野郎になった原因(元凶)だ。皆さんはご存じだろうか。


「あ~あの午前二時に踏切に行くやつでしょ?」
「あ~あのオーイエーヘーイアハーン♪でしょ?」


黙れ。シャラップ。ファッキンビッチ。(中指スタンダップ)


いやその通りなんだけどね。というかファンですらそういう認識だから全然いいんだけども。


しかし、そう。サビが有名になりすぎてサビは歌えても1曲丸々通して聴いたことはないという人は意外と多いんじゃないだろうか。それはめちゃくちゃもったいないぞ。オイ。


音の良さや藤くんの歌声が素晴らしいのはもちろんそうなんだけど、BUMPの音楽最大の魅力は俺は歌詞にあると思っている。そしてその文学性の極致ともいえるのがこの「天体観測」だ。あまりにも緻密で、美しい。この曲から着想を得たドラマが作られたほどだ。


前置きなんかすっとばしてもう歌詞解説に入っていい?いいよね?だめって言われても書くけど!


それでは曲頭から歌詞を「天体観測」という文学を繙いていく。





午前二時 フミキリに望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ雨は降らないらしい

真夜中に「僕」が天体観測の準備の為に踏切へと向かうところから物語が始まります。ラジオの天気予報いわく「雨は降らない」とのこと。ラジオっていうところに時代感が出てていいね。

のちのち分かるんだけど1番ってまるまる回想シーンなんだよね。だから基本ベース過去形で語られていきます。



二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して

二分後に君が来た」。ここも結構重要ポイント。そして二人は「ほうき星」を探すために天体観測を始めるわけですね。

天体観測ってほんとにたった4分半の歌詞にストーリーが凝縮されてるから一つ一つのワードを丁寧に拾っていかざるをえないんだよね…




深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

君は「深い闇」に飲まれそうになり、「僕」は君の手を「握ろうとした」。ここでいう「深い闇」って何のことなんだろうね?普通に読めば夜の暗闇ということになるんだろうけど、別にそれって精一杯抵抗するものでもないよね?あるいは何かの隠喩なのか……

そして有名なサビに入ります。



見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」。「見えないモノ」っていうのは素直に受け取れば「ほうき星」のことだけど、どうなんでしょ。俺はこの「ほうき星」「幸せ」の暗喩だと思うんだよね。幸せって本来目に見えないのに人って目に見える幸せを追い求めるでしょ。

そして後半、「僕」は「明日」には返事もろくにせず、「イマ」というほうき星を「君と二人追いかけていた」と回顧します。

言い換えるなら、「将来のことなんて考えずに、僕は今のような幸せな日々がずっと続けばいいと思ってたのに」ってところでしょうか。

総じて一番は、君と疎遠になった「僕」が過去の思い出を回想するという構成になっています。

そして物語は第2章へ。




気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか

ここで時間軸が現在へと変わります。「イマ」というほうき星を探していた「僕」は君と離れてからもいろいろなモノを探しているようです。「幸せの定義」に「哀しみの置き場」………相当ひきずってるなこれ。



生まれたら死ぬまで ずっと探している
さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

人が生まれてから死ぬまでずっと探すもの……それこそやっぱり幸福なのでは?だからこそ、この後に「始めようか天体観測 ほうき星(=幸せ)を探して」っていう歌詞が再度登場するんじゃないかな。

天体観測の歌詞の中で「始めようか天体観測」というフレーズは合計3回登場し、あと1回はラスサビで登場します。お楽しみに。



今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも

「僕」は今まで見つけたモノを全部覚えていると言います。そしてその一つが、君の震える手を「握れなかった」痛み。1番のサビ前では「握ろうとした」と歌われていたのが「握れなかった」に変化しています。

つまり、「僕」は深い闇に飲まれそうな君の手を握ることが出来ず、君は深い闇へと飲まれてしまった、と………そして「僕」はそれを悔い、心に大きな傷を負います。それが「痛み」。

ここで話を戻すと、この歌詞に登場する「闇」っていうのは何か精神的なもののことなんじゃないかな。これはあんまり確証は無いっていうか個人の解釈だけど、君は精神的に弱いところがあって、「僕」は君を支えきれずに結果的に離れてしまったっていうことなんじゃないのかなぁ。

そして2回目のサビ。




知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

一番では「見えないモノを見ようとして」だったのが「知らないモノを知ろうとして」に変わっている。そして「暗闇」を照らす様なかすかな光を探している、と。探してばっかだなこいつ。

ここの「暗闇を照らす様な微かな光」っていうのは「ほうき星」。つまりは「幸せ」。君の抱えている心の闇を救う手立てなのか、あるいは君を失った「僕」の抱える傷を癒す手立てなのか………何にしても「僕」は現状から抜け出して幸せを探そうともがいているのが窺えます。

二番は楽しかった過去から一転、過去の幸せと傷にとらわれてしまっている僕の様子が1番の歌詞と綺麗に対比させながら語られています。

そしてCメロ。



背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった
僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ

未練たらたらじゃーん(笑)

最後の「ただひとつ 今も思い出すよ」っていうのはいわずもがな、天体観測のことでしょう。あの日何があったのか?物語は結末へと向かっていきます。

思ったけど天体観測って「秒速5センチメートル」に少しだけ似ているような。あれも過去の女に縛られて苦しむ男の話でしょ。

ちなみに秒速の第2章の題は「コスモナウト」で、BUMPの6枚目のアルバムタイトルが「COSMONAUT」です。天体好きだね。




予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

あの日、「予報外れの雨」が降ったことがここで明かされます。冒頭で「雨は降らない」って言ってたのに降ってしまった雨。これが意味するものとは?

このラスサビ前、実はめちゃくちゃ大事な箇所である。というのも、BUMPのボーカル藤原自身がこの曲のキーワードは「予報外れの雨」にあり、「ラブソングなんかじゃねぇ!」という旨の発言をしているからだ。

ここでいう「予報外れの雨」は「予想外の不幸」だと思う。ずっと続くかと思っていた君との幸せな日々は予想通りには上手くいかず、不幸にも終止符が打たれてしまったと。「雨」を不幸のモチーフとして使った曲は何曲かあるから多分そういう意味で間違いないと思う。友達の唄の「あなたが大きくなるまでに雨の日なんて何度もある」とかね。

そしてラスサビ前最後のフレーズ。「握れなかったあの日を」。ここ実は一番のラスサビ前とたった1文字だけ変わっている。「握れなかったあの日は」から「握れなかったあの日を」に変わっているのだ。「僕」は「あの日を」どうするのか?

BUMPの歌詞は本当に緻密なのでたった1文字まで手を抜かない。むしろたった1文字の変化でストーリーを様変わりさせるような曲芸を平気でやってのける。この曲にもまだとんでもないのが隠されてたり…

ラスサビに入る。




見えているモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている

「見えないモノを見ようとして」から「見えているモノを見落として」へ。

そう、「僕」は気付いたんです。目に見えない幸せばかり追いかけて、今そこにある君という存在を見落としていたことに。それに気づいた「僕」はどうしたか。「静寂と暗闇の帰り道を駆け抜け」たんです。そうです。「あの日を」やり直すことに決めたんです。

そして「僕」は言う。「そうして知った痛みが未だに僕を支えている」。過去の「痛み」が今の自分の原動力となっていると。

そして、「僕」は「ほうき星」=「幸せ」を「今も一人追いかけている」。と。ここは二番と一緒。

そして大サビへ。




もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも

「午前二時」「フミキリ」「二分後」と回想シーンのモチーフがバンバン出てくる。もうこの時点で盛り上がりがエゲツない。

そして三度目の「始めようか 天体観測」という歌詞。これすごいのが一番二番ってAメロで登場してたこの歌詞がラスサビの一番盛り上がるところで登場するんすよ。そしてその後すかさず「二分後に君が来なくとも」だ。もちろん、一番Aメロの「二分後に君が来た」との対比だ。

たとえ君が現れなくても、「僕」はあの思い出のフミキリに向かうことを選んだ。「僕」は再び君と出会えたのか?

そして歌詞の最後の一行。








「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(うるさい)


もうね、天才ですかと。一番で「君と二人追いかけていた」だったのがラスサビ最後で「君と二人追いかけている」に変わるのだ。本当に最後の最後の1文字。これが「た」か「る」かでこの曲の描くストーリーの結末っていうのは180度様変わりする。こんな歌詞が人間に作れるだろうか。いや、作れない。(反語法)このたった一文字で君が「僕」の目の前にもう一度現れるシーンがはっきり目に浮かんでくる。もう一度言おう。天才だ。




いかがだったでしょうか。もちろんね、いろんな解釈があっていいと思いますよ。俺はこういう風に解釈してるよって言うだけで別にひとそれぞれ好き勝手に楽しめばいいんです。


でも少なくともBUMPの曲は解釈のしがいがあるというか、めちゃくちゃ緻密で繊細な歌詞であるというのは保証するので、色々漁ってみてはいかがだろうか。気が向いたら多分BUMPに限らずこの歌詞やべぇ!!っていうのを個人的な解釈とともに載せる。気がする。


あ、歌詞の考察とか好きな人はPeople In The Boxとかも聴いてみてください。余裕で夜が明けます。



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