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Clockworkって結局なに?から考えた2つの仮説

Clockwork……時計仕掛け、ぜんまい仕掛け 。規則正しく、正確に、円滑に。(和訳)

今日はClockworkとは結局のところ何なのかを考えてみる。

2008年10月22日に発売されたGARNET CROWの28thシングル『百年の孤独』に収録されているカップリング曲。
それが『Clockwork』


曲全体がダークかつ緊迫感あるメロディーで展開され、程よい疾走感がスリリング。
ちょっぴりシニカルな物言いを含む歌詞を中村さんが淡々と歌い上げているが、その歌い方が何故かとても相性が良い。
控えめな岡本さんのコーラスもアクセント。

「補給される遺伝子のリンネ」「永い永遠の輪っかの外」など、何やら意味深で抽象的な歌詞も私の中の中学二年生が疼きだす。

そう、この中二心を擽る意味深で抽象的な歌詞。
結局のところClockworkって何のことを指しているのか。
りーぬなりに仮説を2つ立ててみた。


仮説その1
『Clockwork』=輪廻転生 説 

Clockworkは輪廻転生の話をしている?

AZUKI七さんは宗教観を歌詞に登場させることも珍しくはない。
聖書をモチーフにした曲もいくつかあり、『逃れの町』『ふたり』『創世記Ⅰ』等が該当する。

輪廻転生は仏教での教えなのだが、歌詞に仏教が登場するのはこの仮説が正しければ『Clockwork』が恐らく最初で最後なのかもしれない。

輪廻転生とは、人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを意味する。
人の生まれ変わりには生前の悪行が関係しており、それに応じて六道という6つの世界のどれかに生まれ落ちる。

・六道のなかでも最も苦しい地獄界
・飢えによる苦しみを味わう餓鬼界
・犬や猫などと同じ畜生界
・争いが絶えない修羅界
・私達が暮らしている人間界
・最も楽しみは多いが悲しみも寿命もある天上界(極楽とは異なる)

地獄界と餓鬼界と畜生界を合わせて三悪道と呼び、特に苦しみが激しい世界となっている。

何かが生まれ そして消えてゆく
そういうこと繰り返して 数十万年
時はいつも同じトコ
堂々巡りしてるみたい

生まれては消えてゆく命。そしてまた新たな命に生まれ変わる繰り返し。時はいつも同じ場所を堂々巡りしている。
終わることのない輪廻転生は続いてゆく……。
ということを指しているのではないだろうかと考えた。
ちなみに旧人類から進化した私達ホモ・サピエンスの誕生は今から約20万年前。数十万年とはこの数字のことだろうか?

輪廻転生で再び人間界に生まれ変わるためには五戒というものを守らなければいけない。
不殺生(殺さない)・不偸盗(盗まない)・不邪婬(性に溺れない)・不飲酒(飲酒しない)・不妄語(嘘を吐かない)というものだ。

そしてこの輪廻転生を抜け出す、つまりハミダスことが出来るのは六道の中でも人間だけである。人間だけ"永い永遠の輪っか(輪廻)"の外へ行くための仏の教えを学ぶことが出来るチャンスがあるとされている。

しかし、再び人間に生まれ変わることが出来るのはほんのひと握りでとても困難なこと。
ほとんどの魂は輪廻転生により、迷いや苦しみを繰り返していかなければならない。

終わることのない苦しみの輪廻。
何に生まれ変わるか分からない輪廻転生は苦行とされている。
そんな永い永遠の輪っかの外へハミダシ、何者にも生まれ変わらない境地(涅槃)へ行くことを解脱と呼びそれが至福とされている。
ハミダシたい、という願望が逆説的にそう簡単には逃れられないことを裏付けているのだろうか。


仮説その2
『Clockwork』=細胞 説 

Clockworkは遺伝子(細胞)の話をしている?

補給される遺伝子のリンネ


人間の体の中に、輪廻転生と同じく日々生と死を繰り返し生まれ変わりを続けているものがある。
それが細胞である。
人間の体の中で1日に3000億〜4000億個の細胞が死に、細胞分裂により"補給"され生まれ変わる。
(厳密に言うと細胞と遺伝子は似て非なるものらしいので別物ということは補足しておく)

人間という個体が生存している限りは、個体の中で遺伝子は生と死を繰り返して後続していく。
死があるからこそ生命が入れ替わり更新される。

細胞を個とし人間を全とすると、細胞ひとつひとつにも死があり個体としての人にもいずれ死は訪れる。
全である人間の中で個の細胞として生まれ、働き、死に、また生まれ変わりを繰り返して人間という個体の中でバランスをとっているのだ。
これが個体としての人間の生が存続している間に行われる細胞の役割、すなわち使命となる。

そして人間を個とし、宇宙を全としても同じことは言える。
全である宇宙の中で唯一無二の個の人間として生まれ、二度と繰り返さない一回性の命という有限性のものの中で「自分とは何者なのか」「どう生きるべきなのか」を問われている気がしてくる。

そして、平和を望みながらも争いを繰り返す人類の歴史
目の前に困難が立ちはだかった時、耐える者や戦う者が存在する人類の多様性

平和を望むその傍ら 争いは止まず続いてゆく
番のように互いは共に歩む 光と影ね
耐えることで乗りきる者と
やむを得ず戦う者達
バランスのとれた宇宙の一部の巡り合わせか

人間を生かすよう様々な働きをプログラムされた細胞のように、我々人間も同じくどこかで宇宙によりプログラムされ生と死と繁殖を繰り返してこの宇宙の中でバランスをとっているのかもしれない。

また、遺伝子の形状も輪っかである。

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人間から人間へ永遠に受け継がれてゆく遺伝子もまた、永い永遠の輪っかともいえるのかもしれない。


まとめ

①Clockworkは輪廻転生の話?(宗教)
人間の肉体は滅びても、魂は何度でも転生を繰り返して生まれ変わるという仏教的死生観。
終わることの無い苦しみの輪廻(永い永遠の輪っか)をハミダシたい。
輪っかの外がどんな世界なのかを一度でいいから見てみたいな。という願望。


②Clockworkは細胞の話?(科学)
人間の体の中で生と死を繰り返す細胞。そして細胞分裂により補給される生まれ変わり。
細胞のような極小の存在にも、個が全を存続させる役割(使命)がプログラムされてるように、宇宙に生きる人間にも必ず何かしらの役割(使命)がある筈。
そしてそれは知らず知らずのうちに人類の歴史が自然と担い続けている。
人から人へ受け継がれてゆく遺伝子もまた永い永遠の輪っか。


③どちらか1つの意味ではなく、むしろダブル・ミーニング。
輪廻転生と細胞って似てるじゃん。どっちの意味でもいいよ。的な。

歌詞の冒頭で蜘蛛が何かを捕食することについて書かれているのだし、繰り返される生死についてのテーマであることは間違いなさそう。

このClockworkをそれっぽく和訳するなら、『決して覆されることのない繰り返される運命』といったところだろうか。
いわゆる心地よく繰り返す波ってそういうことなのかな。


①の輪廻転生説は宗教的なお話、②の細胞説は科学的なお話。
よく宗教と科学は分離したものと捉えられることが多いけど、そこまで遠いもののようには私は思えない。

互いに補完し合いながら宗教も科学もより良く発展していくといいな♪


以上、Clockworkについてのりーぬの独り言でした。

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