解説は作品の魅力を殺すか?

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まず前提として、これからの話は私の美術家として活動している中で考え、感じている事です。

「美術家として活動していくにはどうしたらより良いのか」という立場からの発言です。美術家として活動するには、今の世の中では「売れる」事が大きな活動指標の一つになっています。

「好きに描いているだけだから売れる必要はない」「美術とは金銭価値ではない」「他人に理解されなくてもいい」という考えは今回の場合除外します。

また、イラストとか漫画とかアニメとか映画とかに当てはめる事は想定していません。

【作品解説の必要性】

作品の解説の必要性に関しては様々な意見がある部分だと思いますが、私は個展、グループ展など作品発表の場において、作品の解説は出来うる限り丁寧かつ詳細に掲示、もしくは配布されるべきだと考えています。解説を必要とされた場合苦もなく誰にでも行き渡る事が可能な状態であるべき。

作家がその場にいて、一人一人に仔細に解説ができれば良いですが、それはまず不可能であり、展示場所においてはそぐわない事もある。そんな状態であっても、作者の意図を理解する手助けとなるものが必要だと思っています。

ではなぜ解説が必要か。それは「私とあなたは違う人間だから」です。

【人は理解し合えない】

私とあなたは違う人間です。親と子であっても、恋人であっても、親友であっても、違う人間だからこそ「お互いを100%理解する事はできない」。これくらいわかるでしょ?という事でも伝わらない。人は人の頭の中はわからない。

だからこそ、作品を理解する手助け、もしくは切っ掛けとして言葉による解説が必要だと思うのです。

「何となくわかる気がするけどよくわからない」「ちょっと気になるけど全然わからない」という作品を前にして、例えばそこに【作者と自分を繋げる共通のもの】が示されていたとしたら、その人はその作品を「よくわからない」から「とっても気になる」「好きになる」となる可能性がある。

「私」と「他人」を繋ぐ最低限度の意思の共有。それが解説だと思うのです。

作品を作り、発表するのであれば、必ず制作意図があるはずです。それがどれだけ個人的な内容であろうとも。そして作品を売って、美術家として活動をしようと思うのならなおの事、そこには作品を見る人、購入する人、必ず自分以外の他人が存在します。

特に今は世界中の人がネットを通じて作品を見れる時代です。そうなるともはや親や友人を越え、言語も文化も違う人達に自分の作品を理解してもらわねばならない。

ある程度は作品の魅力だけで通じる部分もあるでしょうが、やはり「意図」があって制作しているのならば、その意図が共有されてはじめて、その作品の本質的な部分の理解に及んでいくと思うのです。

作品解説がなかった場合、ほぼ全て作品は鑑賞側の感覚に委ねられます。

この場合、「作者と鑑賞者でどれだけの知識や感覚が共有されているか」で評価は大きく変わってきます。

多くの鑑賞者に共通の感覚であれば、それは多くの人が正しく理解できるでしょう。例えば「印象派」「モネ」などは多くの人、それこそ世界中の人が綺麗だと感じ、その成り立ちも理解していますから、たくさんの人に人気があります。それでも「印象派は綺麗」だと思える感性が培われているか、印象派の知識は必要です。

だからこそ、作品を鑑賞者に委ねてしまうという事は、理解者が多い(ブームである)イコール人気があるというような、とても浅い評価で終わる可能性が高い。

少し話しがズレますが、美術作品を楽しむ為には知識と経験が必要です。もちろん、最初は好きだなーとか綺麗だなー程度で構わないですが、良い絵を良いと思える感性というのは、たくさんの作品に触れてこなければ中々培われません。「感性」や「感覚」は育つものです。また、美術作品の中には知識が無いと理解できないものも多く、逆にそういったものは知識をつけると楽しめるものに変わる事も少なくありません。文字を読めなければ本が読めないように、美術品を見る経験を積まないと本当には美術を楽しめないのです。

【解説は作品の魅力を殺すか?】

作品解説が必要である、というと、作品にとって解説が邪魔、楽しめないという意見をよく耳にしますが、私は「そうではない」と考えています。

作品解説というのを「一から十まで全部説明する」もしくは「作品について言い訳する」事であると思っている人もいるようですが、ここでは作品を作るにあたって制作者の一番根っことなっている部分や意図を分かりやすく文章化したもの、とします。多くの場合、これは「ステイトメント」と呼ばれます。

解説は作品を見る上での理解の手助けですから、これを読まなくても楽しめる人は作品のみで構わないでしょう。しかし最初に述べたように、意図が分かれば理解ができる、作品が楽しめるという事はとても多いのではないでしょうか。

解説がある事で一番メリットなのが「作品の本質部分を楽しむ事ができる」という事だと感じています。

作者の制作意図、本当に表現したい事がわかると、そこから自分の中に作品の意図と表現を落とし込み、鑑賞者の中で作品が更に育っていく可能性が出てくる。これが本当の意味で「作品を鑑賞者に委ねる」という事だと考えています。

私の作品も、かなり制作意図をもって作っていますが、作品を鑑賞してくれた人が、観賞後に私の意図を踏まえた上で自分の感覚や意見と重ね合わせ、落とし込み、さらに広げて感想を下さったりします。それを見ていると「自分の作品が伝わるというのはこういう事なんだな」と実感します。

また、海外からの雑誌インタビューや展示ではかなり作品について詳細な解説が求められます。展示に行っても多くの人に意図を尋ねられます。彼らは作品について理解したがり、理解した上で考え、自分のものにしようとします。作品の解説ができると、国や人種や言葉を越えて、作品で理解し合う事ができるのです。

【解説をつける事の作家的メリット】

上記をふまえ、美術家として日本に留まらず世界中を対象とし多くの人に自分の作品を理解してもらう為には自作品の解説ができる、また展示においてはそれを掲示する事で大きなメリットがあると思っています。

世界中の多くの人に理解ができるという事は、一番身近な他人にも理解ができるという事です。理解者が増えれば魅力を理解する人も増え、作品の購入者も増えるでしょう。

また、自分の作品について解説ができると、自分自身の作品も意図や表現が整理され、よりブラッシュアップされていきます。作品を制作する上でもプラスになる事が多い。

【以上です】

自分が解説を必要とする主な理由は以上で終わりです。作家活動を始めて8年経ちますが、最初の頃は「自分の作品意図が他人に伝わらない」というもどかしさと悔しさを嫌という程感じてきました。作品が未熟であるだけでなく、それを作品や行動から他人に伝えるという事に思い至っていなかったのだと痛感しました。

また、活動のかなり早い段階からステイトメントを書く重要性を教えてもらった事は非常に自分にとって有り難い事だったと思っています。

そういった経験も踏まえて文章にしてみました。読んで下さってありがとうございました。

※記事は以上です。今回の記事は投げ銭システムです。記事が良かったと思った場合、購入して頂けると励みになります。

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