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『天官賜福』

現在、思考の大半を占める物語。二度目の読了を機に、思いつくままに天官賜福のどこに惹かれたのかなどを記録しておこうと思います。

一番は殿下の人となりです。「人となり」という言葉を敢えて使う。

800年という長い時間を過ごした殿下は、たくさんのことを受け止めて抱えたまま生きてきて、様々な苦を経験して尊厳も何もかも奪われて、失って諦めたことも多い。でも、根っこにあるものはまったく変わらず誰にも汚されない。昔からの強さと優しさに柔らかさが加わって、受け入れ生きることと見過ごせないことの境界線がはっきりしていて、今の自分をちゃんと認められる。

物語が進んで人となりを知れば知るほど、殿下のことが好きになりました。

過去編、特に33人の神官と百剣の場面は自分の体験とも重なって、殿下に感情移入しすぎて本当に苦しかった。墨香銅臭先生、人間としてこの世に生を受けて生き抜いてきた中で感じたことのある感情や晒されたことのある状況を物語に落とし込むのが上手すぎる……

だけど、苦しみの末にたどり着いた答えとこれから歩む路、そこに帰着するまでの流れで殿下は自分とはまったく違うと思い知らされます。

痛みさえ引き受けて、今目の前にある自分ができることをやる、一人でも救う 、「たったー人、それで十分だ」と絶望から立ち上がる強さ。どれだけ踏みにじられても、恥辱を受けても、泥のなかでもがくしかなくて心身ともに追い詰められたとしても、誇り高く屈しない姿。

過去編を読むまでは「謝憐」と呼んでいたけれど、もう「殿下」としか呼べなくなるほどの感銘。(信徒爆誕)

殿下一人でも十分すぎるほど魅力的な天官賜福だけど、物語の主軸となるのは殿下と三郎の800年に及ぶ愛。現在も過去も二人が何度も出会いを重ねて、言葉を交わして、時間を紡いでいく過程がとにかく美しいのです。

二人の合言葉のような、二人を象徴するような、何度も物語の中で登場する「重要なのは『君』であって、『どんな』君かは関係ない」という言葉が大好きです。長い時間と様々な出来事を経て、立場や姿かたちは変わっても何も変わらない二人が大好きです。

三郎の殿下との向き合い方がすごく良くて、どんな状況でも尊重するのは殿下の意思で、殿下のやりたいようにやらせて寄り添い守る。何度も何度も殿下に伝えた「私を信じてください」は「あなたを信じています」と表裏一体のように感じる。

自分の思いや願いを相手に押し付けない、三郎の愛を一言で形容するなら「献身」なんじゃないかなと思います。三郎…三郎ーーーー!!!

殿下と三郎、二人を象徴するものの一つに花があります。小さな白い花を一輪そっと捧げることが精一杯だった子が、空一面の紅い花を殿下の上に降らせて帰還する場面なんて、どんな言葉を使っても陳腐になるくらい感動します。

そして、過去編の最後に殿下がみつけた道に咲く小さな紅い花。殿下といえば白い花なのになぜ紅?と考えた時、前述の場面が浮かんで対になっているように感じて、情緒がめちゃくちゃになり信徒は本を抱きしめ咆哮をあげることしかできない。

私は道端に咲いている花を見るだけで涙ぐむようになってしまいました。

たくさん記してきたけど、天官賜福は暮らしや生活、人としての営みがそこにあることをしっかりと感じ取れるところにも強く惹かました。

殿下が苦薺観で過ごす時間の描写は、心に豊かさと気付きを与えてくれます。(殿下が料理をする場面を読んで人生で初めて料理したいという欲が湧き中華せいろを買った)だから物語終盤、信じて希望を持ってやるべきことをやって静かに時が流れてゆく、そんな風に三郎を待つ殿下の描写がすごく好きです。その過程が切なくて美しくて、最後の最後まで魅了されました。

民俗怪談で二人の路を伝承として受け取って幕を閉じる構図もお見事すぎて、読了した時、自分の中にものすごくでかい感情が渦巻いて天官賜福のこと以外何も考えられないし、言葉も思考もまとまらない状態になった。

それは今も変わらずで、寝ても覚めても天官賜福のことばかり考えています。このままずっとこの感動を抱きしめて生きていたい。はじめての魔翻訳で、睡眠と労働時間以外はひたすら翻訳して読み進めて、情熱と狂気が紙一重なゾーンに突入する感覚も久しぶりに味わいました。

感想は尽きないし、好きな場面を挙げればキリがありません。特に気に留めなかった言葉が後で重要な意味を持ったりまったく重みが違うものになったり、それに気付けるから何度読んでも新しい発見があるし、きっと完全に咀嚼することはできないのかもしれない。だからこそ、また読み返す楽しみがある。ずっと物語の中にいられる。

天官賜福に出会えた私は今生の運を使い果たしたのかもしれません。

(2024.05.06)

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