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「恐怖で支配する」描写にドキリとした

2021年の本屋大賞を受賞した
『52ヘルツのクジラたち』と
『星を掬う』(どちらも町田そのこさんの著作)を続けて読んだ

どちらも設定が非常に重かった
(知らずに読んだ)

あぁ、読むタイミングというのも
必然なんだなぁと思う

人の深い深いところにある
悲しみや寂しさの描写は
読めないときは読めないから

サラッと文字だけ追い
あらすじだけ掴み
頭で読むときもある

目をそらさず
じっと感じようとできたのは
カウンセリングを学んだから
とも言えるだろう

表面に出る表情、態度、言葉だけではなく
そのもっと奥の方を感じ取ろうとする姿勢を
私は学んだと思っている

”誰にも理解されない”
”誰にも触れさせない”
と思っている部分を
一緒に感じ入っていく

小説を読むという作業をしながら
ドラマを見ながら
ニュースを聞きながら
それをする

もちろん、想像の域は超えないが
今までより
私の内側で行われる工程が増えたと感じる

同時に、自分の中で動いた感情にも
それをする

カウンセリングの鍛錬は
日常のそこかしこにあるのだ

小説に話を戻す

『星を掬う』の中で
娘を自分の思い通りにしたい母が

意に添わない行動をした娘に
「違うでしょ」
と、腿や頬を強くつねる描写がある

ロボットみたいに
ガラス玉のような目で
(子どもにとってそれは恐怖だ)

そうやって支配するのだ

私はドキリとする

「違うでしょ」と
わざと怖い声で言い

つねるはせずとも
声の大きさやとげとげしい言い方で
同じことをする自分を知っているからだ

あれは躾(しつけ)ではない

子どものためではなく
自分の保身のためにそれをする自分を
知っているからだ

「恐怖で支配する」
なんて恐ろしい響きだろうか

だけど、そういう部分が
自分にもある

そんな弱さを照らし出してくれたり
あぶり出してくれるのが
小説だったりもする

そして
希望を見せてくれるのも
小説だったりする


あぁ、今日は何が書きたかったのか

「コントロールしたがる自分と向き合う」かなぁ

「日常のそこかしこに
 ヒントと鍛錬の場がある」かなぁ

「選ぶもの、目に留まるものには
 意味がある」かなぁ

あなたが受け取ったものはなんだろう?

独り言のような内省エッセイに
お付き合いいただき
ありがとうございます!


『 コントロールしたがる自分は
  何を恐れているのか      』

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