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日々の濃度を人生の濃度を決めるのはなんだ?

日々の濃度を決めるものは
何なのだろう

人生の濃度を決めるものは
何なのだろう

幸福感か?達成感か?
充実感か?貢献感か?

自分の人生を生き切ったと思うには
何をどうすればいいのだろう

何がどう作用するんだろう

夫が一緒に住んでいるのが当たり前だった日々から
夫が一緒の家にいるのが特別な日々になり
今、また夫がいるのが当たり前になりつつある
(夫は単身赴任中)

3年ぶりの祭りがある日々と
祭りが終わりいつもの日々

日々の濃淡の差が産み出すものと
それが当たり前になるスピード感が恐ろしくて、
戸惑っている


日常と非日常
ルーティーンとイレギュラー

どちらもバランスよく組み込めばいいのか?
ふり幅が大きければ大きいほどいいのか?

そんな次元の話ではないような気がしている


以前チラっと書いた
「当たり前の日々を 
 色褪せないようにするには 
 どうしたらいいんだろう?」
という言葉

これにとてもありがたい返信をいただいてね

一部を要約してシェアすると

当たり前の日々を色褪せないようにするには
気付きや感動や腑に落ちたことを
「メモすること」と「今にいること」だ

「今にいる」と普通に感謝モードになる

今、静かにメールが書ける、感謝
今、夫と笑って話ができる、感謝
今、子どもが目の前で笑っている、感謝
今、具合悪いタイミングで横になれる、感謝
全て、本当にありがたくなる

「今にいる」と全て輝き出す

少し意識が未来や過去にズレると
すぐ、不安や恐怖がやってくる

読者さんからの返信より

ご自身の体験を踏まえて
こんな風に教えてくださったのね

どちらも深い納得とともに
「今にいる」ということがとても心に残ったの


あなたにとって
「今にいる」ってどうすることだろう?
どんな状態だろう?


私にとっての「今にいる」は

「今、感じていることを
 そのまま受け取る 受け入れる」
かなぁと思う


否定するでも批判するでも
変えようとするでもなく、ね


その結果、感謝が湧いたら
それは本当に幸福なことだと思う


どうしたって比較した方が分かりやすいし
一度失くした方が気付きやすい


でも、そうせずとも
「今にいる」ことで見えること、
気付けることがあるのかもしれない


こうして書いてみて思ったのが
人生の濃度のひとつは
自分がどれだけ感謝されたかじゃなくて

自分がどれだけ感謝できたか
なのかもしれないなぁ
(わ!これ、すごい大発見かも!)


スッキリ答えが出たわけではないけれど
私はここにメモさせてもらってるんだなぁ


いつも読んでくださりありがとうございます


返信やコメントをくださる方がいることで
私もさらに深まります
本当にありがたいなぁ

それでは本日も
”自分が一番の味方”な一日を♪


■■コトバのチカラ■■
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『 答えのない問いを
  自分とコミュニケーションしながら
  相手とコミュニケーションしながら
  問い続けていくのが人生だ     』


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